2012年5月20日 (日)

そよ風を待ち侘びる心

サブタイトルは < 冬の風鈴4月の扇子 > です。

外に一歩出ると、時々風鈴の音が聞こえます。

あるお宅で吊るしていらっしゃる、いつも聞こえる音色です。

初めて聞いたとき、

「 ああ、涼しい! 」 と、日常の楽しみをまた一つ見つけ、

運の良さを喜びましたup

あの音には、実に不思議なパワーがありますね。

ご近所でもそのお宅からしか聞こえないので、

最近は冷房全盛期となった代償としての消滅down

と思っていたので、

絶えず聞こえるいろんな物理音の中で、

耳に心地よいその響きに聞きほれて、

思わず足を止めてしまいました。

” このまま足早に立ち去ってしまったら、

  この心地よさがどんどん遠のいてしまう!

  そんなのいやだ。もっと味わいたいよー! ”

という要求を、自分が自然と発してる。

なんの思惑(おもわく)もなく、ただ純粋に欲する。

” ということは、これって本能?” と、

改めて感じた訳です。

まー、こんな綺麗な、よどみの無い音色を聞かされたら、

自然と心が洗われて、

心の棚にしまいこまれた審美眼が、刺激されますね。

だから、最初は耳から入って敏感に反応した音への郷愁が、

さざ波のように、一瞬にして心まで広がって、

今度は、その心が求めて止まなくなる。

日本人のDNAか?

そういえば、海外の方が日本に来た時、鈴虫の音色に接して、

「 騒音だ! 何とかしてくれ! 」

と宿泊先のホテルで大クレームを起こした。

と、聞きました。

しかもそのお客様、著名な音楽家でいらした。

とのこと。

個人差はあるのでしょうが、感性の違いは否めない。

慣れている親しんでいる音色への憧れ?

とすると、もはや文化の差。

とも受け取れる訳で、

私はひたすら、

<鈴虫の音色にウットリ出来る、そんな自分の感性に感謝>

するだけでした。

そんなニュースを聞いた時には ・・・ 。

  ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

で、実はこの風鈴の音色なんですが、、、

聞こえるのですよ。

真冬の寒風吹き交う季節にも。

初めて聞いたとき、私は耳を疑いました。

「 んっ? 今確か、どっかで風鈴の音が? ・・・ んな訳ないかー。

  気のせい気のせい!」

・・・ だったんですが、

「 んん? やっぱ聞こえる! ナヌ~ッ? なんでー? 」

となり、これまた足を止めた訳です。

” チリリ~ン ♪ ・・・ チリチリ~ン ♪ ”

と、北風に乗って、その音色が今度ははっきりと聞き取れる。

意識すると、どんどん感覚が鋭くなって、

アンテナをバシッと、その方角に向けて立ててみると、

間違いなく、 ”あの夏の風物詩君 ” が自己主張してる!

と受け取れるほどに、恐ろしくしっかり奏でてるのが判ってしまう。

何せそこは、北風ピープーの寒空の元、、、

一方風鈴は、涼を呼ぶ日本の和芸。

「 これ以上寒くさせて、どうしろってのー ?!! 」 

・・・ 当然そう思うわけで、

まあ、冬に吹く風はたいてい北風で、

風鈴はその風がないと鳴ってくれない訳で、

その日のソレは、思う存分の北風。で、

だから私は、もう早く家に帰りたくて、マフラーもコートも、

しっかり身にひき寄せて < 自ら発する熱の暖を取りながら >、

足早に歩いていたのですね。

なのに?、、、なのに、そんな私のひそかな努力を、

まるであざ笑うかのごとく鳴り響くその音色に、

私は思わず ギョッ! とした訳です。

本当に、 ” 人をおちょくってる? ”

と言いたくなるほどに、

それは朗々と鳴り渡る、

< まるで結婚式を祝福している、教会の鐘の音 >

のように、私の耳にこだましてしまいました。

「 なんだってこの時期に、そんな得意気?」

と、私は半ば呆れながら、

「 ますます寒く感じるわよ!どうしてくれんの? 」

と半ば怒りながら、道端に立ち止まってしまいました。

で、最終的には、

「 まあ、こんなのめったにお目にかかれない、

  イヤ、お耳に入れないから、これはこれでいいか。」

と、宝くじにでも当たった感じを楽しむup

という切り替えをし、( してやったり顔で )

「 だれかにこのことを、いつか伝えよう!」

と、話の材料として楽しむ決心をもしたのでしたscissors

しかし ・・・ 不思議なことに、、、、その音。

何度か聞いているうちに、妙にしっくりくるようになったのです。

「 冬の風鈴も、なかなかいけるなぁ。」

と、風の日を楽しむようになったんですup

冬の音色は、夏と明らかに違って、かなり高く聞こえるのですが、

おかげで?遠く離れていても、高音域の音色が、

風の音に共鳴してハーモニーを奏でるかのように、

サワサワ ・・ シリリン サワサワ ・・・ シュリリン と聞こえるのです。

夏のはっきりした 「 チリリン 」とは明らかに異なる音色。

その、冬独特の、乾燥した空気感を含んだ風鈴の存在は、

< 何ともまた、馴染み深い懐かしい音 >

として、私の中にはっきりと ”新・マーキング” された訳です。

・・・ で、時は今。今は初夏。

初夏とは言え、夏と言っても過言ではないほどの、

かなり蒸し暑い日々も、

 「 はい、こんにちは。ついにまた来ましたよ!」 的に、

勝手に人の家に上がりこんで、居座っちゃう。

ような、そんな頃合。

・・・ そんな中、またまた聞こえたあの音色。

「うーん。やっぱりいい!」

そうです。

この時期の音は本当に、、、

” 湿度に触れてしっとりとした色香を醸し出す緑の葉 ” 

を思わせるモノなのですね。

調和の美学?

ともかく、場の雰囲気に ” ピッタリ! ” で、

< 付け足しは何もいらない!>

という、日本人としての感性の極致。

って感じです。

こんな時、「 しあわせ~♪ 」 と、浸れるのですよね。up

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

で、思ったのです。

毎年実は感じることではあるのですが ──

「 夏は冬にあこがれて 冬は夏にかえりたい 」

という、オフコースの 「夏の終わり」 という歌の詩。

この曲、初めて聴いたときは、

「 うわっ。短いフレーズの中に、私がいつも思ってること、

 全部入ってる!!」

と、びっくりしたのを、今でもはっきりと覚えています。

この部分だけで、この曲との私の出会いは完結!

と言っても過言ではない位。

言い当てているのですね。

いつも思うのです。

夏の暑さのさ中。

「 ああ、冬の寒さが恋しいなー。」

そして冬の寒さの中。

「 夏の暑さの、ほんのひとかけらでもいいから、ちょうだ~い!」

って。

つまり、今ここにないモノ、絶対に手に入らないモノへの憧れ、

欲しがる切実な思い。

もう、イヤになる程、毎年感じてる訳です。

「 ほっ、ほしい~~っ! 」 って。  

    (※ 四季の恵みあればこその贅沢ですが。。)

で、ふと気づいたんです。

「 この風鈴って、そんな願いの投影だったのかも。」 と。

” 夏に帰りたい ” 思い → 風鈴

・・・ だったのかなぁ、と。

最初はこの家の人も、無意識に、

ただ、片付けるのが面倒で出しっぱなしにしていた。

でも時が経つうちに、何だかしまうのが惜しくて、

このままずっと聞いていてもいいんじゃないか?

と思い至り、

今は意識的に冬の風鈴を置いている。

その風鈴は、

強風にあおられる時より、本当はそよ風が一番似合ってて、

殊に、” 夏の一服の清涼剤 ” という言葉がある位だから、

自然の風が”そよそよと寄せる”、その感覚が、

だれしも心地よく、

「 もう何も要らない。最高にしあわせ!」

と感じられる瞬間でもあるのですよね。

そよ風 = 優しい = みんなに分け隔てない恵み。

で、その存在感を実態として感じるのに、

風鈴っていう存在は、完璧。

風を起こすのは簡単で、

まぁ、自分で一所懸命あおげばいいだけですから。

でも、自然に沸き起こる風には、所詮かなわない訳で、

自然の風には、発生する理由・メカニズムがちゃんとあり、

湿度やら温度やら、なんやらかんから、

ともかく完璧な順序・システムで、

” そよかぜ ” は、自分達の元にやって来る訳ですよね。

だから、そんな ”完成されたモノ” を前にして、私達に出来ることって、

何とか視覚化したい!

実態を伴ったものとして認識したい!

という切望を叶えることしかない訳で、

その努力の集大成が 

≪ そよ風探知機、風鈴 ≫

なのではないか。

と感じたのです。

つまり、風鈴の音色はそよかぜを思い起こさせ、

” そよ風のさやぎ ” は、

「 自分にすら与えられる無上の優しさ 」 を感じさせてくれて、

 (それは殊に落ち込んでる時などは、涙が出る程に嬉しく有難く、)

そして、その平等に与えられる無限の優しさには、

【 母胎に宿る赤子への究極の愛 】 

という、懐かしい安堵感を覚えるのではないか。

と思い至ったのです。

大げさですか?

でもね。

そよ風嫌いな人って、いないでしょ?

「 なんでこんなに気分がいいんだろ?!♪ 」

って、思わず足を止めてしまい、

また、縁側では寝入ってしまう。

それほどまでに、身をゆだねることのできる存在。

って、ただものではない!

「 あんた一体なにもの? 」

って思うのですよ。

どんな悪者?でも、どんな小心者でも、

ペット達がおなか向けてコロンと寝転がっちゃう。

至福の表情で。

・・・ そんな安堵しきった感覚を人に与えられるのは、

母親くらいでしょう?

って、思うのですよね。

たった今まで悪口雑言を吐いてた子供も、

その風に当たると、ア~ラ不思議。

思わず、

「 ごめんね!僕が悪かったよ。 」 と謝っちゃうような、

不思議な魔力を持つ存在。 (母は強し!?)rockup

大の大人ですら、

普段 「 まあ、何て憎たらしいひと! 」 と思われてても、

その風にあたると、

” 自然な笑顔がこぼれて素に戻る ” おかげで、

「 ええ~っ!この人、こんな優しい顔できるの?up 」

と周囲が思わず驚嘆する。

そんな実力を兼ね備えた存在。

それが、”このそよ風”の本性?!

というイメージを持ったのですね。

優しい顔してスゴイヤツ! 的な。

これって、母性ですよね。rock

で、

風鈴に話を戻しますが。

結局、

<風鈴 = そよ風 = やさしさ = 母性> という連想ゲームで、

だれしも、ホントはみんな、やさしさ母性を求めてるんだな。

っという結論に至った訳なんです。

そして、サブタイトル2つめの、< 4月の扇子 > も、

煎じ詰めれば、ここに行き着く訳でして。

4月の初旬、まだまだ周囲は鼻炎注意報におののいている時期、

すでに居たのですよ。

100円ショップに扇子が。

しかも、一番目立つ棚に、美しく羽を広げた蝶さながらに。

「 すでに夏を待つ準備かー?」

と思いつつ通り抜けたのですが、

よくよく考えて見ると、

< 扇子も涼を呼ぶ風物詩> ではないですか。

「 おー、ここにもあったか。そよ風へのあこがれが!」

と、結びついた瞬間だったのですね。

本当に、日本人って、すばらしいですねー!

・・・ ってことで。

そよ風を待ち侘びる心、母性への回帰ここに極まれり!

そして今日の響きです。

 < そんなそよ風のような存在でありたい! >

penguinchick

追伸。

引き寄せの法則やポジティブ思考って、似てるのです。 ← 何に?

そよ風への思いと。

「 来て欲しくて、実態を引き寄せたい 」 からと、

風鈴を吊るす。

で、準備万端宜しく、そりゃもう万全の対策を練って、

「 いざ、いざ~っ!」

と、待ち構える。

しかし、そんな日に限って、風はソヨとも吹かない。

「 アレー。せっかく特等席を用意したのに!」

おまけに、最高の音色の風鈴を買ってきたのに。

「 なんで~!」 (泣・怒)down

で、

 「今日はだめか~?」

とあきらめて、場を離れる。

・・・ と、アラララ 不思議。

忘れた頃に、

何とも心地よいそよ風が吹いてきたではありませんか?

「 オ~ッ♪ これよー。これこれ。

 これを待ってたのよ~(嬉・喜)!」upup

・・・ そうです。つまり、こういう関係なのですよね。

過剰ポテンシャルだと、肩透かしをくらっちゃう。

たとえば浴槽の湯船のように、、、

浴槽につかって自分がお湯を押した時、

暖かいお湯が自分に向かって押し寄せます。

でも、お湯を自分に引き寄せようと頑張ると、

そう、頑張れば頑張るほど、お湯は遠のいてしまう。

結果、

「寒いよー。もっとあったまりたいのに、お湯が来ないよー!」

となってしまう。

だから、そよ風を待つ心って、

”名にし負う”引き寄せの法則?

よりずっと判りやすい、実行しやすい、

いえ、普段私達が行っているその、自然な態度。

だからこそ気づかないだけで、

実は、

【 とてつもなく大きな恵みを受け取るぞ、宣言 】

をしているのかもしれません。

万人に与えられる、無尽蔵な究極の愛という恵みを。

2012年5月19日 (土)

ピンクのリボン

高校時代、何気ない程度に仲良くしてた友人がいました。

親友と呼ぶには距離があり、縁がないというには近い女性。

彼女 Kさん とは、1年間同級で、隣の席だったこともありました。

また、これが一番の原因かな? とも思うのですが、

通学電車が同一沿線だった為、話す機会が増えていました。

田舎の電車というのは、1時間に1本が普通で、

朝晩のラッシュが見込まれる時だけ、2本出る感じ。

なので、学校帰りには大体みんな同じ時間の電車に乗る。

教室から出て、それぞれ部活動などに勤しむとしても、

運動会系ではない生徒達は、週の半分は即帰宅する、

という構図でした。

教室を出てから、「 じゃ、また明日ね♪バイバイ! 」の挨拶まで、

ほぼ1~2時間、ずっと一緒にいて、特に高校生なので話題は豊富。

会話時間が長ければ、

それだけお互いの家族ことなどにも立ち入った話もする訳で。

・・・ そんなこんなで、Kさんとは馴染みの顔という、

安心できる付き合いをしていました。

そのKさん、とっても小柄で、前髪切りそろえてオデコは完璧に隠す、

いつも俯き加減に話をし、相手の目を見る時は上目遣い。

切り揃えた前髪が目に入ってしまうのか、

ちっちゃな瞳をいつもパチパチさせながら話し、

これまた小さな口からは、しかし外見とは裏腹な、

ハキハキした言葉が飛び出す。

” 一見凄く地味な子 ” なんだけど、自分に似合ったオシャレをしてて、

中学3年間水泳をしていたせいもあって、

腕や足はガシッとしていながら、ウエストは羨ましい程にほっそりしてたので、

何を着ても、 「 わ~っ。ウエスト細くていいね! 」 と言われそうな程の、

体型の持ち主でもありました。

本人もその長所は十分自覚していて、

「 あたし、足と腕は嫌いだけど、ここだけは自信あるんだ~!」

と、両手を腰にあてて、自慢のウエストをギュッと絞ったりしてました。

で、ある時、私達は隣同士の席になり、何のついでか忘れましたが、

< 異性と手をつなぐ > 時の話になり、

授業中にもかかわらず、ヒソヒソと交わしたのです。

「 テレビで知ったんだけど、指と指を交錯させて手をつなぐって、

  普通につなぐのと、全然違うんだってね。 」

と私が言うと、

「 そうだよ。何今更いってんのー? 知らなかったー?

  もうさぁ、温度感がぜんっぜん違うんだよ~。

  やだーもう! ○さんって、かわいいねぇ♪ 」

との返事。

「 へぇ~っ! 」 と驚きながら、一見地味なKさんの、

ホントの姿を垣間見たようで、また、

その手のつなぎ方によって、感覚が全く違うというのが事実だ、

という2つの事柄に、

ウブな私は衝撃を受けたのです。

よく聞くと、Kさんは中学時代から男性とお付き合いがあり、

手つなぎデートは当たり前。

だったそうで。。。

実は当時の私達は、本当におくてでした。

だから、もし同学年に <そういう感じの男女> がいたら、

間違いなく学年中に知れ渡り、

また、一緒に歩いてる現場を目撃されただけで、

翌日には ”噂の的” になるのは、もう当たり前のことでした。

だからその時からKさんは、私にとって、

< 進んでる女 > となった訳です。

でも彼女、そういう面は一切表に出さない。

つまり、親しい人にしか打ち明けない。

という、ちょっとニクイ女性でした。

だから彼女がそんな ”とんでる女” だなんて、誰も知らない。

ほとんどの人は、彼女の外見に錯覚を起こす訳で、

「 地味で控えめでめだたなくて・・・ 」

という感じ。

で、地味だから暗いかというとそうではなく、

前述したように、言葉はけっこうキツイ位で、

また、よく笑い、

細い目なんだけど、決して相手からそらさない、

その輝きに同性でもドキッとさせられる、

< 瞳でモノ言える > タイプの、

ちょっと魅惑的な人でもありました。

噂話が苦手で、

「 私、そういうのって嫌いなのよね。」

と、いつもと違い、アゴをグイと持ち上げた姿勢で、

紅潮したホホを引きつらせながらも、

言葉をにごらせることなく、どんな場面でも、

はっきりと言い放てる女性でもありました。

水泳で身に着けた精神力の賜物でしょうか。

ともかく、普段はうつむき加減、

でもここぞの時は背筋を伸ばす。

そのメリハリも楽しくて、私は彼女との付き合いを深めました。

縁があったのでしょう。。

東京の大学生活でも、私達は頻繁に会うようになりました。

高校と違い、お酒が仲に入ると、より親密さが増して、

幾度となく、相手の家に泊りがけで飲み明かすようにもなりました。

お互いお酒に強く、グイグイ飲みながらの話題は、

当然のように男性談義。

彼女は短大、私は4大。

「 だから、短大の2年間を4年間分謳歌する。」

と息巻いていた彼女にとって、最初の1年目が勝負でした。

2年目は就職活動に忙しくなるため。

とのことで。。。

なるほど。ならば付き合いましょう!

ってことになり、ウブな私も親元離れ、少し気も大きく広くなり、

また、少しいたずらに大人びたかった年齢でもありました。

何せ私の ”あこがれの東京暮らし” とは・・・

ハイヒールはいて、さっそうと歩く女。

パーマをかけ、お化粧バッチリ決めて闊歩する都会人。

に、自分がなることであり、

それまで耳タコで超耳障りだった、

< ” 信州のヤマザル ” という不名誉な呼称の返上!>

だった訳です。

なので、大学に入ってすぐに実行!でした。

靴屋さんでハイヒールを履いた時は、

「 これから私の都会生活が始まるのだ! 」

と妙に鼻息荒く、鏡に映る自分の姿にホレボレしてました。

お化粧を初めて買った時は、化粧コーナーの方に全て委ね、

「 ああ、これで私もサナギから蝶! 美しくなるのよねー♪」

と、テンション最高調で、

映った自分の顔が美しかろうが醜かろうが、

それに気づく心のゆとりもなく、

ひたすら変身していく過程の妙に、酔いしれていました。

仕上げがパーマで、これは大学の先輩方の言葉通り、

つまり、

「 1年生は夏休み明けると、みんなパーマで大変身なんだよ。

  もう、毎年恒例でさ。 

  久しぶりに会たら、判んない位なんだよね!」

とのお察しは見事に当たり。。。

私もついに、「 ヤッホー♪ 」 と叫びたいほどで、

まだブローも上手く出来ず、パーマされた野放し状態の髪。

にもかかわらず、

もう ”自分が美の化身にでもなった” かのような錯覚を抱き、

髪にふれる都度、ウットリ。

・・・ 

そんなもんです。可愛い年頃でしたから。

今の若い子には、想像もできないでしょうね。

19歳にしてそんな遅れてる感覚?! って・・・。

でも、当時の私達の世代は、そんなものでした。

私だけ特別。

ではなかったと思います。

同級生の子達も、みな、似たり寄ったりで、

日本全国から集まってきた、田舎人の集まり。

でしたが、違和感なかったですね。

時々、都会的な、「浅野温子さん」みたいな、

サラサラ・ストレートロングヘアの子がいると、

かなり目立ってましたから。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

で、話を戻しますが。

彼女との付き合いは、かなり密度の濃いものに変化してゆきました。

人生観から結婚観、いろんな気付きがある10代です。

その感性の、日ごと夜毎の変化もまた楽しくて、

私達は飽きることなく、語り続けました。

お互いに信頼し合っていた。

そう思います。

そして、お互い、自分にないものを相手に認め、

その個性に惹かれあっていた。

と、感じていました。

「 Kさんのそういうところって、いいよね。羨ましい。」

とか、

「 ○さん(私)のこういう口癖って、おもしろいよね。

 私の価値感になかったから、スゴイ惹かれる。」

などというのが、私達の常でしたから。

つまり、両思いだった訳です。友人として。人間として。

 ★ ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜ ★★

いよいよ2年生になって、彼女は就職活動。

私は学生生活を益々楽しむ年代でした。

2年生とは、今まですべてが新しいモノだったのが、

慣れ親しんだ自分の範疇として受け止められて、

自分の居場所が増え、顔見知りも増えて、

「 これからが本番! 」

という時代でした。

Kさんは頑張りが実って早々と就職を決め、

私はというと、そんな思いで余裕の学年だったので、

2人は再び頻繁に会い始めました。

そんなとき。

私のサークル仲間と彼女、一緒にお酒を飲むことになり、

もちろんそこには男性も沢山居て、

彼女も進歩的な?女性ですから、楽しんで過ごしました。

男性の中に、私が特に親しんでいたU君がいて、

その彼、どうやら彼女に気持ちが傾いた様子でした。

私はおくてなまま変わらずだったのと、

憧れの先輩が居たため、U君のことは、

” 実に気の合う友人 ” でしかなく、

Kさんへの想いを知った時も、

” 上手くいくといいな! ”と感じていました。

でも、私は、

< 人の恋路に手も口も出さない >

主義?なので、ひたすら傍観。

そんなある日。

私がKさんの家に泊まりに行った日のことです。

夜遅くまで飲み歩き、帰ったのは終電ギリギリでしたから、

恐らく夜中12時過ぎでした。

Kさんのアパートの門の横で、誰かうずくまってる!

ギョッとして私とKさんは、身を固くしました。

途端に、

「 おかえり~。 」 と低い声。

どこかで聞いたような?・・・んっ?

「 Uくん?! 」 というKさんの声。

そうなんです。

U君、彼女に会いたくて門前でずっと待ってたんですね。

彼はバイクが大好きで、

「 お金さえ問題なけりゃ、ずっと乗り続けたい! 」

「 バイク乗る連中ってさー、どんな事故っても止められないんだよ。

  死にかけるような事故にあっても何でも、もう、一生離れられない。

  好きで好きでたまらない。それがバイクの魅力なんだぜ。」

と言ってる人でしたから、当然そこにもバイクで来たのですが。

で、驚いたKさん。

「 せっかくだから、家に入って!一緒に飲もう!」

となった訳です。

ところで。

じゃ、Kさんの気持ちってどうだったの?

って思うのですが。

当時、彼女には本気の相手がいて、

その彼との恋愛談義も結構きいていました。

お部屋デートからの帰り際のことなども、

「 彼が家から出てく時、私辛くて。

  彼のタバコの吸殻、じっと見つめたまま何も言えなくて、

  見送りできなかった。

  パタンってドア閉まった時、涙が出ちゃって。」

「 でね、閉めたドアの向こうで、ザザーって音がしたんだよね。

  彼がドアに身を寄せて、辛そうにドアにもたれて、

  座り込む音。

  しばらくして、サーッと離れる音がしてね。

  ああ、彼も辛いんだ、って思ったの。

  ねえ、聞いてる? 」

っと、まあ、オノロケだったんですが。

そんなアツアツの彼氏が居た時だったので、

U君の想いは、100%切ない片思いな訳で。

それでも私は、いくばくかの期待感を持っていました。

だって、若い男女なんて、いつどうなるか判りませんものね。

だから、攻めて攻めて攻め抜いたら、Kさんも・・・?

って、思わないでもなかったんですね。

一途すぎるU君の行動を見た私は、結構ジーンときて、

そのままほってはおけない。

という気持ちが強かったのです。

 ● :;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ ●

その夜は、3人で飲み明かし。

その後、結局どうなったのか?

というと、うーん。

KさんはU君の想いを体で受け入れました。

でも結局、心は別だった訳で。

で、彼女の短大卒業と同時に、お付き合いはなくなった様子でした。

私としては、仲良しU君へのヒドイ仕打ち。

と取れなくは無いわけでしたが。

その後、彼女は数人とお付き合いしたらしく、

いろんな話を、電話でしてくれました。

・・・

けれど、私はその頃、なんとなくKさんの、

男性とのそうした付き合い方に違和感を覚え、

「 ついてけないな。」

と感じ、距離を置きたくなっていました。

正直、四角四面な私の思いは、

「 よくそう簡単に、次から次へ乗り移れるなぁ。」

「 男好きなだけなの?」

「 一人でいることができないだけ?」

と、異質なタイプのKさんの、その異質さの部分が気になって、

もっとはっきり言うと、

イヤで嫌でしょうがなくなっていたのです。

だから必然的に電話でも、それが伝わっていたのでしょう。

勘の鋭いKさんは、めっきり電話をしてこなくなりました。

当然、自分からかけることはありませんから、

しばらく音沙汰のないまま、1年程たちました。

 ★ ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。 ★

そんなある日。

電話が鳴って受話器を取ると、、、あのKさんでした。

「 うわー、久しぶり。元気だった?」

と、以前のこだわりはだいぶ薄れていた為、

ハイトーンで出ました。

彼女も、ちょっとはにかんだ声で、明るく話してくれました。

そして、すぐ、

「 あたし、結婚決まったの!」 と言いました。

とっさに私は、、、とんでもない一言を口走りました。

「 えっ。また・・・。今度は本気なのー?」 と。

内心、彼女はこう答えるだろう、と思いつつ。

「 いやだなー。意地悪!いつだって本気よー。

  でもね、決めたの。結婚するって。これで最後!」

とかなんとか・・・。

しかし、彼女の取った行動は。

「 ヒドイ! ひどすぎる! あんまりじゃない?

  もう絶交よ! 口もききたくない!!」

叫んで、ガシャンと受話器を置きました。

・・・

何が起きたのか一瞬では判らず、ボー然とした私は、

握った受話器を、震える手で、ようやく置きました。

「 今彼女、なんて言った?」

「 ぜっこう?! 」 で、電話切られた?・・・?

頭が真っ白になり、彼女の言葉と声と受話器の音とが、

一度に全部が重なり合って、

ずっと心に、耳に、こだましていました。

「 ああ、私はひどい仕打ちをしてしまった!」

途端に後悔の念に苛まれ(さいなまれ)始めました。

でも、後の祭りです。

彼女は一体どんな思いで私に電話してくれたんだろう?

しばらくぶりだから、きっとドキドキしてただろう。

私から、「 おめでとう!」 って言われたくて、

期待に胸をふくらませて、必死にダイヤルをまわしてくれたんだろう。

高校大学・・・と、いろいろあったけど、人生の幸福を掴んだ、

その知らせを、

「 大事な友 」 と思ってくれてた私にしたくて、

勇気を振り絞って、連絡してくれたんだろう。

なのに ・・・ なのに私は、なんてことをしてしまったのか!

取り返しがつかない。

言った言葉は二度と消せない!

そんなこと判ってる。

だから余計に、自分自身に腹が立つ。

ごめんね、Kさん!

本当にごめん!改めて言うよ。

「 おめでとう。そして、幸せになってね。」

私は何度も何度も繰り返すのでした。

★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

あらから25年以上経って尚、

私の中に後悔と慙愧(ざんき)と、

彼女への、そして笑いあったあの時代への恋慕の情とが、

決して消えることなく、

いえ、年を取る毎に、ますます深くなっていくのでした。

そうして、ある晩。

私は夢を見ました。

夢の中で、彼女と私は何かの列に並んでいました。

列の先にも後にも沢山の人々がいて、

そんな中、彼女は私の前に立っていました。

不意にクルリと私の方に向き直り、

「 似合う?」 

と、ニッコリ笑って、自分の頭(髪)を指差しました。

見ると、大きな大きなピンクのリボンが、

彼女の髪に留められていてribbon

私はそれを見て、

「 うん。凄くきれい!♪ 」

と言うと、彼女は嬉しそうに、

それはそれは嬉しそうに、これ以上ない。

という程の飛び切りの笑顔で、じっと私を見つめていました。

・・・

そこで、ハッと目が覚めました。

途端に、「 ああ、許されたんだ!」 と思いました。

彼女の笑顔は昔のままで、

ピンクのリボンは本当に可愛くて、彼女にはとっても似合ってて、

嬉しそうな表情は、何の屈託もなくて、

心底からの喜び、私への信頼を語っているかのようでした。

私はしばらく身動きできなくて、

「 でも、彼女の幸せそうな笑顔はきっと今現在のものなんだ!」

と確信できてました

「 どうぞKさんが幸せでありますように!」

それも、ずっと祈ってきたからです。

その願いに対しての、夢の返答だった。

と感じました。

「 時がたち、わだかまりを捨てて、心底許してくれたんだ!」

私は強く確信できました。

それほどに、心は晴れやかで澄んでいたからです。

ありがとう!ありがとう!!

私は全ての存在に感謝しました。

Kさんを始め、私の守り神、Kさんを取り巻くご家族などの守り神。

・・・ すべて、すべてに、ただただ 「ありがとう!」

といい続けました。

それほどに嬉しく、有難く、

【自分の努力だけではどうにもならない事態に対しての、

 大きな存在への祈り 】 

 ・・・ もう自分にはそうするしか方法がない。

 いえ、それしか何も出来ない。

という状況下での夢だっただけに、

< 願いは叶えたぞよ!> という天の声だった訳です。(笑)chick

★ ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;: ★

ありますよね、人生には。

努力だけではどうにも出来ない事態って。

しでかした失敗は言うに及ばすですが、

 ← 個人の責任だ!なんですが・・・”覆水盆にかえらず” ですので

それ以外でも、

例えば赤ちゃんに恵まれない、とか、、、

それまでは、努力次第で人生は開拓できる!

と、固く信じてきたのに、実はそれだけじゃどうにもならない。

努力しようにも、土俵にすらあがれない。

その理不尽さに涙を呑む。

なんていうことが・・・。

そんな時、人は自分の小ささに愕然として、

自分の無限大の可能性を白紙に戻して、

以前抱いていた、自分への評価をどん底に貶めて(おとしめて)、

「 もう何も信じられない。どう頑張ったって無理。」

と、最後の最後には自分の殻に閉じこもる。

・・・ そうして精神的にどんどん苦しくなって、

やがて自分として生きることを放棄したくなる。

薬に頼って眠ろうとしても熟睡できず、

「それは神経が興奮しているからですよ。」

「神経を落ち着かせる為の薬を飲みましょう。」

と、飲んだ薬で、

今度は ”幸せに生きるための生気” を奪われ、

奪われたことで、「ようやく落ち着きましたね」と間違った評価をされ、

ますます落ち着いた精神を目指すために、薬を出される。

家族は安心するけれど、

ふと見ると、なんだか死人のような顔してる。

どうしたことだ、とまた大騒ぎする。

・・・ そんな繰り返しの人々が、とても増えているようです。

私は薬否定論者でも、

心の弱さを攻め立てるのでもありません。

そんなことしたって、だれも嬉しくありませんので。

そうではなく、

「 人は弱いものだ。人には限界があるのだ。

 あとは見えざるものにすがるのだ。」

といった、

ある種 ”諦観” をもてると、人生って、もっとラクに生きられるのにな。

と思っているだけです。

諦観 = 努力の放棄 = だらしない

ではなく、

自分唯一(絶対)主義の放棄 = 諦観 = ”頭をたれる稲穂” の心

だと思うのです。

いわゆる、「 おかげ様の心 」 です。

「 ○○のおかげで、・・・させてもらってます。ありがとう!」

の思い。

でも、自分の努力次第で、どんな困難でもどんなことでも解決できる!

と思ってると、

ことが上手く運ばない場合は、

「 努力が足りないのよ。もっと頭を使いなさい!」

しか出てこないのですね、セリフとして。

で、これを自分に向けるのか他人に向けるのかが違うだけで、

常にその精神で生きてる訳です。

努力根性 = 成功

という方程式を ”絶対” と思ってる人は。

でも、その成功にいたる道筋に、いろんな人や出来事や、

みえない存在の助けがある。

と判っている・信じている人は、

「 努力?そんなのして当たり前だよ。

 でもね。もっと大切なことは、心がけだよ。」

というはずです。

だから、努力しても成功できない、上手くいかない。

という場合も、殻にこもらないんですね。

やるだけやった! → あとは信じるのみ!祈るのみさ!

っという感じです。

成功という二文字を手に入れられない場合の捉え方が、

全く違うんです。

自分の(○さんの)努力不足だ!バカなんだ。 

と、自分を(○さんを)必要以上には責め立てない。

「 だって、所詮にんげんって、小さいものなんだから。

  ねぇ、やるだけやったんだ。

  頑張ったんだから、自分をほめてあげようよ。

  それで上手くいかなかったってことは、

  人生に、きっとそうなるべく意味があるんだよ。」

・・・ と、言えるんです。

人生を信じているからです。

話がそれました。

そうです。

彼女へのわだかまりは、そうして綺麗になくなりました。

今でも彼女の連絡先は知りません。

でもいいんです。

判ってますから。

彼女も私のことを気にしてくれてたんだと思います。

そうやって、人生って過ぎて行くのですね。

ありがとう。ありがとう。。。です。

今日のひびきです。

< どうにもならない時は、

    もう十分見た足元でなく、

         天を仰ごうよ!night >

2012年5月18日 (金)

青いベビー服の父

夢をみました。

今から数年前。

それは25年ほど前に、病気で他界した父の夢でした。

★ 以下は夢の内容です。

どうやら父は、私達家族に対して後ろめたいことをしたらしく、

私と母そして姉の3人は、父を目の前にして何か言いたげな様子。

見ると父は、薄青色のベビー服を着てちっちゃな赤ん坊の体で、

でも顔は昔のままの私の記憶にある、そのままで、

つまり体は赤ちゃん、顔は大人でした。

その父に、私は詰め寄り、言い放ちました。

「 お父さん!

  どうしてこの世に誕生したのか、

  何のために生きてるのか、判ってるの?」 と。

すると父は、とても悲しそうに顔をクシャクシャにし、手足をバタバタとさせ、

「 判らないんだ! 教えてくれ!! 」

と言うのです。

怒った私が、

「 そんなこと自分で体験して学んで、

  得ていくことでしか答えは見つからないの!

  自分でしか判らないの! 体験するのよ!! 体験! 」

と、父に背を向けながら叫びました。

・・・ そこで目が覚めました。

  ★:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ ★

しばらく布団の中で考えました。

あれは一体、なんだったんだろう? ─ と。

父は人情家でお人よし、お酒が大好きで、

日本酒さえあれば、肴は一切不要なほどで、

毎晩何時間も飲み続ける父に対して、母はいつも困惑顔でした。

「 オレは大黒柱なんだから、オレに文句は言うな。」

という人で、子供達が生意気なことを言おうものなら、決まって、

「 だれに向かってモノ言ってんだ!生意気だぞ! 」

と、隣近所に響き渡るほど怒鳴られました。

「 お酒が入ると気が大きくなって。 」 と母のセリフ。

普段は無口で、母と姉の取りとめもない話を聞きながら、

「 ねっ?そうだよね? 」 と問いかけられても一切しゃべらず。

「 もう! 聞いてんだから、何とか言ってよー。」

と、気の強い姉が上機嫌に父に言い寄ると、

「 スー 」

 (ウンとかスーとか言ったら?という言葉が流行ってました。)

と、しらばくれた顔して答える、お茶目なところもありました。

で、夢の中の不義については ──

他所に女性が居て、どうやらそれが発覚して。。。みたいな。

それは、ある種実話でもあり、私の中では痛い思い出でした。

高校3年の頃、父母は大喧嘩して、母が家を飛び出しました。

姉は東京で大学生活。仲裁が出来るのは私一人。

朝方4時頃で、私は、

こぶしを振り上げて今にも母を殴りそうな父の両腕を押さえ付け、

睨みつけ、 ”両者一歩も譲らず仁王立ち” 状態。

母はパジャマのまま、はだしで飛び出し、

私は母が心配で、父の腕を払いのけ、母のスグ後を追いました。

貯金していたありったけのお金とサンダルを持って、

真っ白な頭のまま、自転車のペダルだけは必死にこぎました。

「 向かうとしたら、おそらくご近所唯一の友人のお宅しかない。」

と思い、方向を定めて私は急ぎました。

「 居た!」

ヨロヨロとした足取りで、

冷たい空気の中をさまようように歩いている、母の姿を見つけました。

自転車を走らせ、母を呼びとめ、お金とサンダルを渡し、

「 おばあちゃんのところにでも行った方がいいよ。」

と伝えました。

~~...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

1週間ほどして、母は戻りました。

両親は以前よりずっと仲良く見えました。

その一週間で私は、普通の幸せが、いとも簡単に崩れ去るものであり、

そしてそれがどれほど大事なものだったのか、

と、胸が締め付けられるほど思い知らされました。

母の代理で買い物中のスーパーでは、家族連れの姿がやたら目に付き、

夫婦仲良く連れ立っている姿がまぶしく、

母娘が楽しげに買い物している様子を見ると、

涙が自然とあふれてくるのでした。

「 お母さん! もうダメなの? 私達にあの日は戻らないの?」

そう思うと胸が苦しくて切なくて、目の前が真っ暗になり、

嗚咽が自然に漏れるのでした。

また、受験シーズンを控え、

順調に勉学に励める友人がうらやましく、

こんな苦しさを背負ったまま勉強しなきゃいけない、

そんな自分が惨めでした。

「 家庭内の恥をさらすようなマネは絶対にしたくない! 」 と、

友人には一切言わず、

また、大学生活を充実させているであろう姉にも 「言うまい」 、

と決めていた為、

やり場のない悲しみは私の中に蓄積する一方でした。

日々の不安と、

わずか数日前まで、

当たり前に笑いあっていた家族の笑顔への郷愁。

「 こんなに簡単になくなっちゃうものなの?」

何度その言葉を繰り返したことか。

不思議と誰をも恨む気持ちのなかったことだけが、救いの種でした。

だから、母が戻り、家にいつもの灯りがともった時、

私は心の底から、「 当たり前ってスゴイんだ!」 と感動しました。

   ★。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚ ★

それから2年後、一人暮らしの私に、

実家でOLをしている姉から電話がありました。

「 あのね。お父さん癌で、あと半年なんだって。。」

あまりに唐突でした。

姉は宣告を一人で聞き、母に伝え、2人分の苦しみを抱えながら、

私に伝える勇気を振り絞ったのです。

電話口で、泣いていました。

気が強く責任感があって、親思い。

成績は常にトップクラスで、いつも正道を走り続けた姉が、泣いてる!

その事実が私を殴りつけました。

「 嘘でしょ?」 なんて言葉は、出ませんでした。

あの姉が、こんな苦しそうに泣いてる。

そこに、そんな悠長な言葉をさしはさむスキは、微塵もなかったのです。

その日から、家族それぞれが、闘いの連続だったと思います。

母は、涙は一切見せませんでした。

家族のだれにも、涙は一滴も見せない。

< 強い人だ!>

私は改めて母の強さを知り尊敬し、自分を鞭打つのでした。

連休1ヶ月ほどを利用して実家に戻った私は、ある日、

母の布団に目をとめました。

毎日病院と家との往復で、母一人の万年床になっていました。

 ( 「 告知当初は、お母さんが心配で一緒に寝てたの。」

  と言っていた姉も、2階で寝るようになっていました。)

いつもキチンと何もかも片付ける母なのに、

” まるで今抜け出した ” かのような掛け布団の抜け殻状態を見て、

私は母の必死さを思いました。

何もかも、かなぐり捨てて父を看病している。

その様子が手に取るようにわかりました。

布団からフッと枕に目を移して、釘付けになりました。

枕カバーが、やたら、汚れていたからです。

「 自分の洗濯、後回しになるからな。」

と、軽く感じスルーしようとしましたが、

何故か目が止まったまま動かせない。

よくよく見ました。

そして、 ハッ! としたのです。

「 涙の跡! 」

気づいて私は、泣けて泣けてしようがありませんでした。

私達姉妹には、その姿は一切見せない。

でも、たった一人で、声を殺して泣いていた。

布団にもぐりこんで、あふれる涙をかみしめながら、

母は、たった一人で耐えていた!

・・・

どうにもならない現実に立ち向かい、

死への道を一歩一歩進んで行く父を、真正面から支え、

逃げることなく闘って来た。

「 辛い苦しい何とかして!」 

母は何度叫んだことだろう。

どれ程の思いで、この涙を流してきたんだろう。

・・・

母の慟哭を聞いた気がしました。

そのあまりの苦しさ辛さの響きに、

聞く側も切なく胸をかきむしられる程の思い。

慟哭。

表面上の母の淡々とした動作言葉の裏に、

これ程の苦しみが横たわっている。

改めて感じた瞬間でした。

余命宣告なんかよりずっと長く頑張って、2年後、父は旅立ちました。

骨壷に父が納まる日。

玄関で母がポツリと言いました。

「 やっと終わったね。」

・・・ 万感が込められていました。

「 やるだけやったから、もう思い残すことは何もないよ。」

続けて母はつぶやきました。

私も、「 これでやっと終わった。」

と思っていたので、その母の言葉は手に取るように判りました。

亡くなるまでの間は、死への砂時計が常にありました。

「 もう半年先は、父はいないのか?」

「 来年の今頃は、もう家族3人だけ?」

いつ、何をしていてもそのことが頭にあって、

「 いや。そんな筈ない。大丈夫。」

と否定する思いとの闘いで、

私の心はずっと緊張で張り詰めていました。

だから父が本当にいなくなって、

「 ああ、これでやっと、

  死へのカウントダウンをする必要がなくなった!」

そう感じて、心の底から安堵したのです。

終わった。。。!

母のその一言に、私も闘いの終焉を感じました。

ようやく解放された。

父も、母も、私も姉も。

臨終間際、父はもう意識がありませんでした。

すでに魂は、あの世に旅立ち、とても穏やかな顔でした。

「 ご臨終です。」

そう言われた時も、私達3人はだれも泣けませんでした。

ただ一度。

私は泣きました。

父の骨を見た時。

「 ああ、これでもう、お父さんに触ることが出来ないんだな。」

そう思いながら、父の表情、姿、声を走馬灯のように浮かべると、

我知らず涙があふれて来ました。

隣に居た仲良しのいとこが、驚いて、ハンカチを渡してくれました。

父の骨には、闘いの跡がクッキリと残っていました。

真っ白い骨のところどころに残る、紫の斑点。

「 薬の跡です。」 と担当の方がおっしゃいました。

< ああ、こんなに闘っていたんだ。

  お父さん、苦しかった?

  よく頑張ったね。もう大丈夫だから。

  ゆっくり休んでね! >

あふれる涙でかすみながら、私は父に語りかけました。

 ★ ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

1度だけ、病と闘う父の心の苦しみを、目の当たりにしました。

退院して薬を飲む、その時でした。

何種類もある薬をテーブルの上で母が取り分けようとした、

その時。

「 こんなもん、ききゃしないじゃないか!」

叫んで父は、薬袋を投げつけました。

驚いた私も姉も、涙目で父を見つめました。

父は両肩をブルブル震わせながら、

こぶしで涙をゴシゴシとぬぐっていました。

母は静かに袋を拾い上げました。

・・・

「 お父さんも辛いんだ!」

改めて知らされたその父の思いを、

私達はしっかりと受け止めようと誓いました。

病に伏してから、父は常に静かに過ごしていました。

元気な頃は、あんなに怒鳴ってたのに!

・・・ だから私は、大声を放った父を見て、少し安心しました。

「 もうお父さんは死ぬ気でいるの?」 と、

その時まで、実は少し不安だったのです。

でも、怖くて聞けませんでした。

  (父には最後まで告知しませんでした。)

けれど、そんな父が示した、死への恐怖、生への執着。

「 ああ、良かった!お父さんは闘う気持ちがこんなにあるんだ! 」

と、嬉しくもなりました。

そう。。。闘ったんだよね。

お父さん、2年間よく頑張ったね。

その思いは、父への感謝にもなりました。

私達の為に闘ってくれてたんだね。ありがとう! と。

その時以降、私は涙を流すことがなくなっていました。

我慢、ではなく、スッキリしたから、だと思っていました。

そんなある日。

父の死から数ヶ月過ぎていた頃でした。

実家で部屋の片付けをしていて、偶然ハモニカを見つけました。

手にした瞬間、信じられない熱い思いがこみ上げて、

私は、

「 お父さん、おとうさん!! 」 と叫び、

そのハモニカを抱きしめて泣き崩れました。

熱い涙がこみ上げて、ぽろぽろぽろぽろと、

後からあとから止まることなく、それは続きました。

胸が締め付けられる。

切なくて懐かしくて苦しくて。

嗚咽が止まらない。

声を殺していることにも耐え切れない程の、

何か深い大きな思いが、自分にのしかかってきているようで、

我慢できずに、 ヒックフィック と、声に出して泣き始めました。

それは父が、酔って女3人に仲間はずれにされた時に、

決まって縁側で吹いていたハモニカでした。

なんの曲でもない、ただ出鱈目にメロディを奏でてる。。。

そんな感じで、居間の私達に背を向けて、

膝を抱え込むようにした姿勢で、吹いていて、

「 お父さん、さびしそう! 」

私達女性陣は、いつも笑ってその姿を見つめていました。

何も言わずに父はハモニカを口元につけ、

自分勝手なメロディを鳴らしながら、庭を眺めていた。

・・・ その父の哀愁が、一気に私に襲ってきたようで、

また、当時の家族の笑い声が一瞬にしてよみがえり、

私はしばらく泣き止むことができなかったのです。

「 ここにお父さんの形見があった!嬉しい。見つけた!」

という思いも沸き起こりました。

” 形見? ”

自分の言葉にハッとして、そばにあったアルバムを手に取りました。

「 父との思い出に、今なら浸れる。 」

と感じたからです。

アルバムの中で、父は私を、姉を、抱いていました。

笑っていました。

一瞬で悟れました。

< 私と姉が一番の形見じゃないか! > と。

「 どんなモノよりも、今ここにいる私って、

  お父さんが生きてた証じゃないの! 」

まじまじと自分の手や足をながめました。

父が居なくなって何度か感じた思い。

それは、「 本当にお父さん、居たんだよね??」

というものでした。

不思議なその感覚は、もう実態のない存在へのもので、

本当に不確かで、宙ぶらりん。

父の存在が、まるで幻だったのような空虚感でした。

「 だから人は、形見にこだわるんだ!

  形見という ” 形・実態 ” が欲しい、感じたいんだ、」 と。

と初めて知ったのでした。

父の死によって ・・・ 。

で、一方ハモニカとアルバムから我に返った時、

実態として感じ取れる、この体。

” これは最高級の形見だ! ”

と、私は恐ろしくすごい大発見をしたかのように、

それまでの虚しさ苦しさがウソのように晴れていったのです。

天と地の差、でした。

< 私って、すごいじゃん!

  お父さんの形見だなんてスゴイ存在価値!

  お父さんは確かに生きてたよー。当たり前だよね。

  だって、ここに私が居るんだから!

  お母さんとお父さんがいなかったら、私ここに居ないもんね。

  そっか。お父さーん! わかったよ。

  あたしはあなたの娘だからね。

  大事な大事な、あなたの形見だから!

  どんな形見より、私は自分を大切にするよ!

  誓うからね! >

父に語りかけました。

父の生きていた証が欲しい。

形見がほしい。

そう切望していた私に、父は究極の答えを示しました。

そして父の思いのすべてが、一気に私に降り注ぎました。

< お前がすべてだよ! > と。

だから。

< だから自分を大事にしなさい。

  お姉ちゃんも、お前とおんなじ、大事なオレの形見なんだから、

  姉妹仲良く。

  お前もおねえちゃんも、オレとお母さんの宝なんだから。

  大切な大切な存在なんだよ。

  だから、もう泣かなくていい。寂しがるな!

  オレの生きてきた証は、お前なんだ。

  お前の中にオレはちゃんと一緒に居る。

  証が欲しくなったら、自分の体を触ればいい。

  いつもオレはそこにいるぞ!>

思いが突き抜けました。

そうしたら、また熱い涙が溢れて止まらなくなりました。

お父さん、ありがとう。

こんな大事なこと、私忘れてたんだね。

でももう、大丈夫!

自分。ここに居る、自分だったんだ!

・・・

そこまで感じ取って、私はまるで憑き物が落ちたかのように、

スッキリしたのです。

悲しみも辛さも、、

それまで溜め込んでいた、ありとあらゆる思いが、

すべて流れ去っていくような、

「 ああ、これで本当に私は大丈夫だ。」

と、不思議な安らぎを感じていました。

思いがけず、父の思い出になってしまいました。

話を戻します。

父の死後、私の中である疑問が芽生えました。

「 父はどんな学びがあって、誕生したんだろう?

 この家族の元で、どうだったの?

 学び終わってあの世に行ったの?

 また生まれたい? 」

折に触れ、私は問い続けていました。

そんな中で見た、ベビー服の父の夢。

そして自分が発したセリフ。

「 そんなこと自分で体験して学んで、

  得ていくことでしか答えは見つからないの!

  自分でしか判らないの! 体験するのよ!! 体験! 」

・・・

「 これって、私に対する答えじゃないの?」 と感じました。

自分の人生への問いかけ。

「 どうして私は生まれてきたの? 」

それはいつも自分を、ある種苦しめていました。

思いもよらない辛い出来事に接すると特に、

なかなか見つからない答えに、あせりがちにもなりました。

でも結局、私の叫び声が、そのまま答えなんじゃないか?

静かに布団の中で、そう思いました。

だから、、、

「 父にどんな学びがあって、私達と過ごしたのか?」

なんてこと、父が知れば良いことであって、

私に首をつっこむ権利はないんだな。

と思い至ったのです。

たとえ身内であろうとも、

自分自身の人生は、本人にしかどうにもできない。

すべては、「 自分がそこから何をまなぶのか?」が大切で、

他は一切関係ない。

・・・

実は私には、余計な思考癖がありました。

例えば、理不尽な人や出来事・ニュースに対して、

「 この人・出来事は、

  一体何の意味があって、ここに居るの・あるの?」

「 一体社会にとって、どんな役割・意味があるの?」

という感じで、自分をまるで第三者に見立てて、

神の裁きをするかのごとく、正義感を振りかざすような見方をする。

つまり、

「 こんな人、いらない! 消えればいいのに、どうして居るの?」

「 こんな出来事、ありえない!社会的に法律的に、抹殺できないの?」

という、排他的な心理が働いていたのです。

「 不愉快だ。嫌いなものは消え去れ!」 的な。。。

けれど、本当に大切なことは、

< その人・出来事に接した自分は、そこから何を学ぶのか?>

ということ。

社会にとって何?・・・ とか、周囲にとって何? ・・・ じゃない。

自分にとって何?

だから、自分はどうする?

何を学ぶ?

それが一番大事なことじゃないのか?

・・・ と、確信めいた思いが広がったのです。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

なぜ父がベビー服だったのか(笑)?

は、未だに謎ですが・・・

夢の中で私が父に言い放った言葉。

そこにすべての答えがあった。

自分で体験して自分で学び、得ていくしか答えはない。

・・・ そうだったんだ。

と腑に落ちました。

腑に落ちたから、きっとそれが私にとっての真実なのですね。

余計な事に首を突っ込む暇があったら、自分の事を考えろ。

という声を聞いた気がしました。

他人事なんて考えてるフリして、

結局、自分とまともに向き合うのを避けてた。

逃げていた。

そんな自分の弱さを、改めて知りました。

いえ、教えられました。

だから、他人を責める資格、自分にはないな。

と、自分の頭をポカリとしました。

かつていろんな出来事に接し、たまたま強い正義感ゆえに、

随分厚い垢を塗りたくった自分になっていました。

でも、それももう卒業を迎えるときがきた。

手放しなさい!

と、その夢で知らされました。

そこに。。。一つの学びがありました。

一教科、終了とでも言えそうです。

夢。

まだまだ沢山の学びをもらっています。

魂が知っていることを、夢で自分に教えてくれる。

私は夢をみることが、とても楽しいです。

魂の声を投射してくれるから。

今日はこんな響きで。

< 夢はウソをつかない。夢は真理の絵柄bell >

  そうしてお母さんを大切にしてくれよな。頼むぞ。

2012年5月17日 (木)

エナジーバンパイア 5

サブタイトルは < おしゃべり好きな人々 > です。

実はつい最近も出会いました。

このタイプの特徴からまず始めます。

おしゃべり大好きで、もうとにかく、ずっとしゃべってます。

根は悪い人じゃないのです。

ただ、静かにできない。だまってることが出来ない。

初めて出会った人にでも、挨拶から始まって、もうのべつまくなし。

機関銃のごとく、です。

この場合のおしゃべり好き、というのは、

人の秘密を言いふらしたい、悪口おしゃべり、

いわゆるエナジーバンパイア4型とは違います。

そうではなく、

自分自身のことを話したくってしょうがない、というタイプのことです。

わかりやすいのは、

「 あたしってさぁ、○○なのよ~。 」

という言葉が口癖の人。

例えばAさんが自分のことを話していても、巧みに割り込んで来て、

「 あたしはさぁ、○○よぉ。」 と、自分自身の話に持っていってしまう。

他人事なのに、話をさらって自分の領域に引き込んでしまう。

というタイプ。

例えばAさんが言います。

「 昨日は映画みてきたの。楽しかったー♪ 」

対してバンパイアBさんは、すかさず、

「 あたしはDVD鑑賞! もうさぁ、最高だった。

 でも、途中で頼んだピザがちょっと失敗でねー。

 あたしって、ピザ大好きなのよ。

 だからそれを楽しみにいつもDVD見てるようなもんなんだけどね。

 それが昨日はちょっとしくじっちゃってさ。 」

また、ある時はAさんが言います。

「 夕べはよく眠れなくって・・・ 」

Bさんは、こう。

「 あらー。あたしはぐっすりよ。もう毎日爽快!

   あたしの場合、能天気なだけなんだよね ♪」

そうです。

相手の話を題材にして、

「 それ、もらった! 」 と、かっさらってしまいます。

また、特徴としては、

相手との差を、ことのほか大きく言い切って、

「 あたしの場合はね、・・・ 」 という言葉を好んで使います。

たまたま相手と同調できる内容だったとしても、

「 そうなのよねぇ。でもさぁ・・・ 」 と話を中断させ、相手に全てを語らせない。

ともかく、心の声はこうです。

< 主役は あ・た・し ・・・ よ! >

それを、Bさんは無意識に行います。

いつも自分が目立ちたいなんて、全く自覚していません。

むしろ、自分は

 ”人のいい、陽気さが取り得の人間 ” と思っています。

< そんな頭が良い訳じゃない。

   でも、ともかく明るくて太陽みたいでしょ?>

オーラ満載。

だから、自分を人々の救世主のように思っていて(思わせたくて)、

だから、自分のおしゃべりは、ぜひとも必要で、

” そーんな暗いの、ダーメダーメ! ” って感じです。

男性でもいますね。

「 オレってさ、○○なタイプなんだよね。 」 と周囲にまずアピール。

Aさんが、

「 へぇ、そう見えないね。 」

とでも言おうものなら、待ってました!

で、次々と自己を猛烈宣伝。

「 もう止まるかな?」

と思いきや、 「 それからさ、こうでああで。それでこうなんだよね。」

という感じで、止まらないとまらない。

一気呵成のノンストップ攻撃です。

男女関係ありません。

あくまでも女性言葉が耳に慣れているので、引き合いにしているだけですので、

あしからず。

話を戻します。

この場合のBさんの心理はというと、

< あたしを見て! あたしの存在って、必要でしょ? >

ってことなのですね。

その証拠に、口癖その2として、

「 あたし、ずっとしゃべってるでしょ? 

  出会ってすぐ、もう仲良くなっちゃったもんね!?

  黙ってるなんて、ぜーったいできな~い!

  あたしと居ると、楽しいでしょ?ねぇ! 」

と、平気で言います。

つまり、

おしゃべりを十分意識しているわけで、それを武器にして、

< 自分は明るくて陽気で楽しくて、

  いつでも一緒にいたいと思われてる! >

と、必死に自己アピールしてくるのです。

で、さらに特徴的なのは、身振り手振りも加わって、

実に達者な演技をする、ということです。

というのは、

「 あたし、黙ってるなんてできなーい! 」

と言いながら、目の前にいる、もの静かなCさんをチラッと、

ちょっと意地悪そうに流し目で見ながら、、、

得意げに言い放ちますから。

その間、両手を思い切り使い、見てる人を惹きつける、

飽きさせない訳なんですね。

つまり、

< 周囲にいる人は観客で、自分は舞台上の主役! >

なのです。

目立ちたがり屋。

と言っても、公衆の面前でパフォーマンスするのではなく、

いえ、逆にそういうことは苦手 ( 結構小心 ) で、

むしろ、ごく身近な人々を周囲に招きいれてのおしゃべり、

が大得意です。

また、

「 あたし、こういうタイプって好き!(嫌い!) 」

と、よく口にします。

例えば血液型の話。

B 「 ねえ、あなたA型でしょう? 」 → A 「 うん。」

この時、言えるのですよ、Bさんは。

「 あたしA型って、嫌いなのよねぇ。合わないのよ!」 と。

言われたAさんは、「 はぁ?ケンカ売ってんの? 」

ですよね。

実はこれ、私が言い放たれた言葉です。

 、、、出会った瞬間Bさんはバンパイアだ!

 と思ったので、かなり距離を置いてました。。。

で、ここにはBさんの巧みな心理トリックがありまして、

もちろん本人は、そんなの無自覚ですが。

それは、こういうことです。

普通、そんなこと言われたら、

「 えーっ、ショック! 嫌わないでよぉ~!」

と、ゴロニャンしたくなる訳で、

それはだれしも、人に好かれたい。(嫌われたくない!)

と思ってるから、自然な心理なんですね。

そんな弱み (人間の本性) を、本能的に利用する。

つまり一旦、相手をぶっ叩いておいて、あとから懐柔しよう、

って魂胆なんです。

突き放されたら悲しいから、スリスリしたくなる、

その心理を巧みに操作して、Aさんに意地悪するんです。

もしその時、Aさんが泣きそうにでもなったら、シメシメです!

「 やっだ~。もう。あなたのこと嫌うわけないじゃない。

   も~、そんな顔しないでよ。大好きよ~!」

と言いつつ、Aさんの肩を抱き寄せ、手を握る。

( 直接触れてエネルギーを吸い取ることもできるし・・)

・・・ と、まぁ、これがBさんの筋書きです。

で、もちろんその逆もある訳で。

「 わぁ、あたし、△型って超好き。気が合うのよねぇ!」

って、感じです。

人懐こくて陽気、表情が豊かで演技が達者。

話題も豊富で人を飽きさせない。

これだけなら、「 何が悪いの?」ってことですよね。

でも、やってしまうのですよ、例のごとく。

何せバンパイアなので、人から生気を奪ってしまうのです。

このバンパイアは、人柄が陽気なので周囲に好かれます。

一旦は。

で、懐柔された人々 (いわゆる 飼い殺しなんですが・・) は、

その楽しさにはまり、ともに笑い、興奮して話を聞き、

大いに盛り上がります。

で、「 ああ、楽しかった。」 と思うのですが、

Bさんと離れて、しばらくすると気づきます。

ドッ~~と疲れてることに。

でも、バンパイアのせいだなんて夢にも思いませんから、

「 変ね? 今日は何か疲れるけど、特別なことしたっけ?」

で、考えてみるけど、思い当たることは特にない。

だから、「 まっ、こんな日もあるわね。今日は早めに寝ましょう!」

と、自分の体をいたわるのです。

そして翌日、鋭気を十分に養った、その体に、

またもやバンパイアが触手をのばします!

「 だって、美味しいんだもーん!このエネルギー、最高!!」

って感じで。

ここで言えるのは、Bバンパイアもまた、他の型と同じで、

< 孤独感が強い人 >

ってことです。

だからいつも周囲に人をはべらせたい。

取り巻きを作りたい。

自分を認めて欲しい。

という思いで、凝り固まってるのです。

固まってるから、本人は凝りに気づかない。的な感じ。

おしゃべりしないと、人に見向きもされない。

自分の存在を感じてもらえない。

” 自分は煙じゃない、ちゃんと実態を伴った人間なんだから、

  ほら、触れてみて!こんなに温かいでしょ?”

という、強烈な心の叫びがある訳なんです。

ちなみに、女性バンパイアの場合、男性の手も平気で握ります。

さりげなく話の最中に、とか、

挨拶の時、「 じゃね!また今度。」 といいながら、グッと握り締めます。

その時しっかり相手の目を見て、

「 あたしを忘れないで!」

と、心でアピールすることを忘れません。

握られた男性は、一瞬ギョッとします。

が、悪い気はしません。

よほどの相手でない限りは・・・。

で、実は。。。!

それはバンパイアにとって、

< 超高級エネルギーありがと!いただきますっ!!>

の瞬間なんです。

会話の中で頂くエネルギーより、

もっと直接的で、フィルターのない状態の良質エネルギーを、

存分に、瞬時に吸い込める。

訳なんです。

もう、それこそ、 ” ガバッと ” いっちゃう訳で、

< 大口あけた カバ が、ズズズイ~ッと丸飲み込みしちゃう > 

ようなものなのです。

この瞬間吸い上げの上手さは、ハンパないです!

だから、そうやって、一瞬で鋭気をスッと抜き取られた方は、

たまったもんじゃありません。

別れた後で、これまた、「 何でかなー。超疲れてるぞ、オレ。」

で、 ガクッ となる訳です。

じゃ、なんでバンパイアはこうも他人のエネルギーばっかりあさってるの?

ということになりますが、

一言でいうと、「 ラクだから 」 です。

つまり、こいうことです。

だれしも生きていく上で、エネルギー補給は欠かせません。

食べて飲んで、の物理的補給。

そしてもう一つ、大切な補給源がありまして、

これがバンパイアの好物なのですが。

それは、非物理的エネルギーの補給です。

たとえば休日続きで家にこもっている場合、

食事は普通にとって、そこそこ体も休めている。

しかし、何だかダルイ。

気分転換に散歩でもしてみるか!

と、外に出かけたら、→ アラ不思議。

エネルギーに満ち満ちた気分で、爽快。

元気一杯になれたぞ!

っということ、ありませんか?

これは、気分転換したから。

ではなくて、外の気、いわゆる、非物理的エネルギーという気。

を吸収できた、補給できたから ・・・ なんです。

ただ息してるだけ なら、物理的エネルギーだけでも十分なんですが、

私達は、より良く、充実した生活を営みたい。

仕事もバリバリこなしたい。

幸せに暮らしたい。

という望みを持って生きています。

そこには絶対に欠かせないエネルギー、それが、

花で鳥で草で大地で、風で、太陽で ・・・

という、食事ではない分野の気で、エネルギーなんです。

普段会社に行く時は、ほんの少しにしろ、

私達はそのエネルギーを補給しています。

が、休日ともなると、殊に出不精な人は、

家から一歩も外に出ない → 休んだ筈なのにダルイ

という方程式に陥ってしまうのです。

で、話を戻しますと。。。

バンパイアについてはどうなの?

ということですが、

彼らも、もちろん自分でエネルギー補給します。

します、が、

他人が一旦自分に取り込んだ人間エネルギーの方が、

手っ取り早く吸収できるので、

つまり、一旦消化吸収されたエネルギーの方が、

新たに自分で0から作り出すエネルギーよりラクラク吸収できるので、

「よし奪ってしまえ!」 となる。

それはつまり、” 無自覚の盗人 ” なのです。

ずるいんです!!

よーく考えてみると、自分が一生懸命外から補給するよりも、

屋内にいながらにしてエネルギー補給できるなら、

そんなラクな、ありがたいことはない訳です。

だから、実に卑怯なんです!

そもそも、孤独でさびしいのなら、素直にそう表現して、

周囲に甘えればいいんです。

でも、「さびしい」なんて弱音、ぜったいに吐けない。

吐いたら、「なに言ってんの?」と切り替えされて、

余計悲しくなる。

・・・ なんとなく、ここにも幼児期のトラウマが?とも思えるんです。

「 お母さん、あたしさびしいの。一緒に居て! 」

という必死の言葉に対して、

「 どうしたの、この子は。もう、○才なんだから、しっかりしなさい!」

とか、

「 お姉ちゃんなんだから、甘えるのは恥ずかしいでしょ?」

とか、言われたら・・・?

子供心に、お母さん(お父さん)に愛されるには、

振り向いてもらうには、どうしたらいいの?

と、必死に考える。

 → そして出た結論が、

ともかく明るく陽気にはしゃぐ。すると、

「 B子はいつも明るくていい子ね。お母さん安心だわ!」

と、親に存在を無視されることなく、逆に、ほめられる。

愛され実感を持てる。

すると、もっと頑張ろうとして、ホントはさびしいけど我慢して、

もっともっとはしゃぎ、もっと明るく、、そうしていつもしゃべってる。

・・・ そういう子供になっていく。

そう考えると合点がいきます。

だって普通、孤独感って、だれしも持ってます。

人はしょせん一人。一人で生まれ一人で死んで行く。

って判ってます。

黙っているからって、「愛されてない」なんて感じないし、

「存在を認めてもらえない」という極論にはならないし、

普通なら、

「 まぁ、今はしゃべる話題もないしね。」

程度で黙ってるだけなんです。

そして会話するにしても、相手の話の腰を折ったりしない。

普通なら、相手がしゃべったら、そこに便乗して、

「 へぇ、で、その映画のどこがおもしろかったの?」

とか、「 だれが出てる?どんな内容?」とか聞く訳ですよ。

いきなり話の腰を折って、自分は・・・ とはなりませんよね。

でも、平気でそれをしでかすバンパイアは、

” 子供 ”

と言ってもいいのかもしれません。

でも、 <大人子供> なので、やっかいです。

ましてや吸血鬼!

冗談じゃありません!

大事な、せっかく自分が自分の為に努力して補給したエネルギーを、

ラクして盗まれてたまりますか!

って話です。

ですから、何としても防御しないといけません!

で、その方法なんですが。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

距離を置く。

この場合、心の距離を! が特に大切です。

例えば、こんな感じで。

B 「 あたし▽型の血液の人って、嫌いなのよね。」

A 「 あらー。くわばらくわばら。嫌われるのイヤだから、席はずすわ~。」

と、にこやかに離席。

バンパイアは、「エッ? そうくるの? なんで~!」 状態になります。

当然、甘えてくる → 懐柔して自分のそばに!

と思ってた訳ですから、予想が狂ってパニくる。

結果、

「 Aさんって、自分の思い通りにならない。扱いにくいわ!」

となり、心理的な距離感が生まれます。

そうなればしめたもの。

有難い話です。

そもそも、心理的に近付きたくて ( 近づいてほしくて )、

バンパイアはおしゃべりし続ける訳ですから、

自発的に距離感を持ってくれれば、吸血も諦めてもらえる訳です。

なぜなら、この5型バンパイアの場合、

非常に傷つきやすい心を持っているからです。

だから、自分が傷ついてまで血を吸おう!

とは思っていない訳なんですね。

傷つくのがイヤで、”怒り煽り型バンパイアに変身”すれば、

また話は別なんですが、

この5型の吸血鬼は、そうはなりません。めったに。

もともと頭の回転がよく、

 ( 他人の話をいとも簡単にかっさらい、

   周囲を飽きさせない訳ですから、回転早いです! )

他人からの愛情が欲しいさびしがりやで、根は甘えん坊。

周囲を笑わせることに生きがいを感じる、

お笑い芸人並にサービス精神旺盛な人。

なので、他人をだまそうとか悪さしようとか、

考えていない。

むしろ善良な市民タイプです。

だから、狙った獲物が予想外の動きをした・・・

ちょっと席をはずしてしまった。

という事実だけでも十分ショックで、内心傷ついてる。

「 ふん、なにさ!」 っていう、怒りにまで発展しないのです。

だから、Aさんの防御の仕方としては、

距離感を持たせるのが、手っ取り早い訳です。

★ ★

また、別の方法をとるなら、

ちょっと意地悪な言葉をバンパイアに発する。

例えばこう。

B 「 あたしの夫、あたしと違ってこうでねああでね。

    もうホント、いやんなっちゃう!」

A 「 へぇ。じゃ、なんで結婚したの?」

 ※ 超意地悪質問ですよね。

   ホント、イヤな奴です。Aさん。

   でも、ここがポイント!重要なのですよ。

   実際あったシーンです。

   続けます。

・・・ 途端にBさん、顔色がサッと変わり、

それまで身を乗り出して語っていたのに、瞬時に身を引いて、

両手をクロスして自分の肩を抱くしぐさ。

まるでわが身を防御するかのようにして。。。言います。

B 「 ひど~い。どうしてそんな意地悪言うのー。あんまりよ~!」

A 「 ごめーん!あまりにも幸せそうだったから、ちょっとヤキモチ!

    判ってるって!自分に無い部分に、惹かれたんでしょ?!」

B 「 そうなのよねー! もう、そのとおりよ~!!」

と、飛びつくように言うBさん。

  ●゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜●

つまり、この会話で重要なのは、、、またしても、

< 扱いにくい人 = Aさん > という認識を、

吸血鬼に持たせることなんです。

自分の範疇に組み込めない。

自分の思い通りにならない。

それはつまり、Bさんにとって、

< エネルギーを吸いにくい、めんどうくさいタイプ > だから、 →

下手な手出しは止めよう!

下手したら、自分がやけどする (傷つく)!

だから、

< Aさんからエネルギー吸収するの、やーめた! > となって、

それは、

Aさんにとっては、被害は最小限度にとどめることが出来、

おまけに、今後は血を吸われる心配もなくなる。

ということで、結果、めでたし、めでたし。。。! なのです。

このAさん。私です。

会った瞬間、

「 うわっ!この人、バンパイアだー!」

と判ったので、何とかかんとか、のらりくらり対応してました。

で、席をはずしたり、意地悪言っってみたり。

とやっていたら、Bさん、

ほどほどの距離を保ってくれるようになりましたよー。

だからって、ツンケンする訳じゃないんです。

挨拶もちゃんと交わし、通常の会話もモチロンします。

ただ、必要以上に近づかない!

ってことです。

大事なのは、こちらが近づかないのではなく、

吸血鬼から距離を置いてくれる。

ということなのです。

嫌うとか憎む、とかではなく、

” なんとなく苦手 ” という感じで。

この、 なんとなく が、いいんです。

お互い心地良い。

変な話です。

” 苦手意識が心地いい ” なんて──。

でも、バンパイアにとって、自分が傷つくことを考えたら、

< 苦手意識で距離をとる >

方が、居心地いいのですよね。

ヤケドしたくないですものね。

もちろん、こちらも有難い!ってなりますし。

エネルギー、ガンガン吸われたらたまったもんじゃありませんから。

お互い万々歳 ってことです。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

ですから対処法は、しつこいですが、

距離をおくこと! に限ります。

で、これはあくまでも5型に限って、という按配です。

というのは通常、バンパイアは物理的距離に関係なく、

相手がどこにいようと何をしていようと、

エネルギーをグングン吸い上げることが出来ますから。

極端な話、地球の裏側に居たって、エネルギー吸い取れます。

つまり、物理的栄養源を吸ってる訳ではないので、

距離だ何だというのは、全く関係ないのです。

エネルギーバンパイアにとっては。。。

いつでも見えない触手をシュッと伸ばし、

スルスルっと相手の一番弱いエネルギー領域に入り込み、

ポンプのごとく、自慢の触手でエネルギーをくみ上げる。

もう、一瞬でそれが成される訳です。

触手を伸ばされた当人も、全く気づかない内に・・・。

それはそうでしょう。

見えないポンプなので、針を差し込まれても、

痛くも痒くもないのですよね、被害者は。

本当に、猟師さんが投網をシュッと投げる、

あんな感じで、一瞬の出来事。

または、蜘蛛がフッ~と超ごく細の糸を吐き出すような、

そんな感じで、

なにしろ捕獲するのです。

そして、自分としっかり ”見えない糸” でつなげておいて、

その糸からいつでもエネルギーを吸い上げる。

被害者がエネルギー充填しようものなら、

「 今だ! 」 とばかりに、ワッと汲み上げる。

・・・不思議とその被害者のエネルギー残量が判ってるのですよ、

吸血鬼には。

だから、” もうカラッポ ” となったら見切りをつけて、

さっさと別の獲物に移る。

神業ですね。

いえ、そんな相手に、仮にも神だなどと言いたくないですから、

うーん、そうですね。

言い換えると、

飛びぬけて特殊に発達した嗅覚を持っていて、

そしてその感覚は実に正確で、ピンポイント攻撃も可能。

おまけに持ってる触手は丈夫そのもので、永遠不滅クラス。

という感じです。

ほんの些細なエネルギーも逃さない。

蚊 ですかね。。。吸血蚊か?

すべての感覚器、5感以上の何かも総動員して、

感じ取る、嗅ぎ取る能力の凄さは、もう人じゃありません。

魂としての求めなのかもしれない。

最近は、そうも思っています。

次のタイプはまた別の機会で。

今日のひびきです。

< おしゃべり型には距離を置け!chick >

2012年5月16日 (水)

ぶちまけられたコーヒー

「 怒りの矛先 」

として、2つめのエピソードです。

今から20年以上前の話ですが、これは時代に関係なく、

今も続いている現象。

と知ったので、ますます書きたくなりました。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

当時私は、ある講演会に通っており、

そこで何度か顔をあわせるようになった女性Sさんと、

食事をすることになりました。

Sさんも私も25歳後半です。

銀座の小さなレストランで待ち合わせ、講演会を楽しみにしながら食事。

という筋書きでした。

Sさんは色白でオシャレで、瞳の大きな美しい女性でした。

私達は狭い店内の片隅に席を案内され、

二人は肩を寄せるようにしてオーダーを決め、

食事とデザートを楽しみにしながら会話をしていました。

レストランは、私達にとってお気に入りで、

実はお互い、何度か足を運んでいた場所でした。

「 じゃ、一緒に食事しよう! 」ということになった訳です。

なので、数人のスタッフの方々とも顔なじみで、

私達が連れ立って行った時も、

「 あら? お知り合いだったの? 」 と多少驚きの目で迎えられました。

食事は順調で、小さなテーブルにキツキツに並べられた料理のお皿も、

もう何も残っていないほどに綺麗に平らげられ、

デザートを待つばかりになりました。

お料理はいつもながら美味しく、

私達の話も盛り上がり、テンション高く、

今日これからの時間の過ごし方に思いを馳せながら、

スタッフの動きを目で追っていました。

狭い店内を縦横無尽に、滑るように働くスタッフの方々が映りました。

やがて来ました。

2人とも大好きなコーヒーが。

テーブルの上にお皿はまだ残っていたため、

トレーのコーヒーは、そのままでは置けません。

スタッフの方は、

丁度その時に空いた隣のテーブルにまずトレーを置き、

お皿を片付けはじめました。

お皿が取り除けられ、テーブルが片付けられ、

「 さっ、いよいよコーヒー! 」

と、2人は会話をやめて、しばらくおとなしく待っていました。

隣の席からトレーを上げ、こちらに向き直り、

コーヒーに手をかけ、テーブルに乗せようとした、

まさに、その時 ・・・

後ろから歩いてきた人と、そのスタッフがぶつかりました。

「 カシャン! 」

と、コーヒー皿とカップの音がしたと同時にカップが宙を舞い、

中身ごとSさんの肩にぶちまけられました。

熱いコーヒーです。

肩だけでなく、よく見るとSさんの頭からもコーヒーが滴っていました。

「 エッ?!・・・! 」 と私 (内心、まさか!)

「 ウッ!」 とSさん。

一瞬Sさんも私も、この事実が信じられず呆然。

スタッフは瞬時に 「 申し訳ありません!」 と叫び、

厨房に駆け戻り、手拭きを持って飛んで戻りました。

その間わずか十数秒。

Sさんはようやく事実を飲み込み、

自分のハンカチをバッグから取り出して、髪を拭き始めました。

店長も駆けつけ、何度も頭を下げながら、

しきりにヤケド・ケガはないかと、Sさんに尋ねていました。

どうやらその心配は無い様子でした。

少し安心したようで、店長は今度は洋服にかかったコーヒーのお詫び。

当事者のSさんは、一連の出来事の間、ずっと無言で、

ハンカチをせわしなく動かしていました。

「 気の毒に。」

と思いながら、私も無言でいるしかありませんでした。

ただひたすら、Sさんの様子を伺うしか出来なかったのです。

少し経って、Sさんが、

「 フ~ッ!」 と、大きな大きなため息を吐きました。

そして次に出たSさんの言葉は、、、信じられないものでした。

Sさんは、ゆっくり言ったんです。

「 もう!どうしてくれるんですかぁ?

   これ、高かったんですよ!

   もと通りにしていただけるんでしょうねぇ?」

ア然としました。

ボー然と彼女の顔をみつめてしまいました。

ビックリして動けません。

耳を疑いました。

「 んっ? 今ホントに言ったんだよね? 確かに彼女の言葉だよね?」

と、今聞いたばかりの、その信じがたい言葉を、

何度も何度も、心の中で繰り返していました。

「 どうしてくれるの?・・・ 高かったのよ! 」

っだっけ?

何も出来ずに私は、

ともかく店長と彼女の顔を、せわしなく見続けていました。

< ” どうしてくれるの?” ったって、

    かかっちゃったもんはどうしようもないよね。>

心の中で考えました。

一方店長は、ひたすらお詫び。

その店長という方が、超ウルトラど美人で、

ショートカットの金髪(地毛)なので、

いつも私達は、「 宝ジェンヌ♪ 」と呼んでいました。

透けるように色が白く、きめ細かな美肌で、

ほっそりスレンダーで背も高め。

目はパッチリと、鼻筋スーッと。

〔 なんでこんな綺麗な人が実在するの!? 〕

っと、だれもかれもが言っていました。

どのパーツをとっても、飛びぬけてる!

という、あまりに人間離れした存在の女性だったのです。

同性にとって、憧れの的。

でも性格はきわめてザックザックした方で、どう見ても男らしい。

ニコッと笑うと、美しい → 可愛い に変身できる、

愛らしいエクボを持っていて、

来店者みんなに必ず一言ずつ、

本人にとって一番嬉しい言葉をかけてくれる。

そんな人でもありました。

頭の回転が早く、仕事も恐ろしくスピーディ。

いつもレジで対応してくれる時、

おみやげを購入した顧客の待ち時間は極端に少なく、

それはすべて、店長の手の早さゆえでした。

商品をラッピングするのその手さばきの良さ、

レジからお金を出す時の真剣な素早さ、

もう、何もかもが、< 芸術の域 > に達していました。

年齢は私達より5歳ほど上で、独身でした。

その仕事に生きがいを感じ、心から愛していて、

「 何をしている時も、ともかく幸せを感じる。

  ここに居られて本当に嬉しい!」

と、いつもおっしゃっていました。

< 目配り・気配りの大切さ >

を、そこの社長から徹底的に叩き込まれた。

その社長にほれ込んで、その会社に入りたくて、

故郷和歌山から単身上京。

やがて一人故郷に残したおばあさまも東京に呼び寄せて、

命がけでその仕事に打ち込んでいる方でした。

当時はとても元気で、

細いながらも、どんな体力勝負の仕事でも平然とこなす、

そんな体力バリバリの持ち主。

が、実は入社当初は体力がなく、1日立ちっ放しはかなり辛く、

仕事帰りは、店から外への階段を下りる力もなかった為、

お尻をつきつき1段ずつ、座りながらいざるように、

階段を下りていった。

と、聞いていました。

そこまでして打ち込んでいる仕事だったのです、店長にとって。

  ★ ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:* ★

その馴染みの店長をつかまえて、、、 のセリフです。

私はというと、

” 百年の恋も一瞬でさめたdown ” 思いでした、正直。

Sさんも辛かったと思います。

当日の講演会に向けて、ずっと前から楽しみにして、

「 何着て行こうかしらん? 」

と何度も何度も鏡の前でチェックして、

まるでデートに行く時のように、ウキウキしていたことでしょう。

わかります。私も同じでしたから。

で、当日、お化粧もバッチリ、洋服もよし!

と、意気揚々と家を出たことでしょう。

それこそ、

希望にあふれた1日の始まり。

だった訳です。

そんな日って、ありますよね?

休日で、出かける先は自分にとって最も興味のある勉強会。

講義も楽しみだけど、そこで出会う仲間との語らいも大切で、

「 ああ、今日も来てよかった! 幸せだな~♪ 」

と、自分の人生を心から楽しむ瞬間。

< その頂点にたどり着く、最高の眺めを今日も味わえる! >

と思った寸前、

夢をぶち壊しにされた!

幸福の頂点から、一気に奈落の底へ突き落とされた!!

Sさんにとって、そんな瞬間だったのだと思います。

悲しみのあまり、噴き出した思いが、言葉になった。

それが、< どうしてくれるの? > だった訳で。

その言葉には、続きがあって、

” どうしてくれるの? あたしの夢、返してよ!” だったんですね。

で、Sさん、泣きそうな顔から一転、不遜な態度に豹変していました。

口をへの字にして、腕を組み、

アゴを突き出して、相手が頭を下げるのを黙って見続ける。

何と謝られようと、最初のひとこと以外、一切しゃべらない。

 ★ ...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。 ★

不思議なことに、私の記憶はここで途絶えています。

その先どうなったのか?

は、全く覚えがないのです。

ただ、あの時のSさんの言葉と表情と、

スタッフと店長と、

それぞれの人の動きを、夢で見たかのように覚えているだけです。

けれど、あの時聞いたSさんの言葉を、

私は以後の人生で一度も耳にしていない訳で、

それは、そんな状況に出くわすこと事態、非常に珍しく、

” 人生の中で、普通ありえない ”

と言っても過言ではない程、マレな経験だったから。

と言えなくも無いのですが、

何とも、 「 こわかった~! 」

という思いも、当時抱いており、

それは、

まるで、<狼人間が狼に変身した瞬間を見てしまった!> 的な、

「 決して見てはいけないものを私は見てしまった!!

  ど、どうしたらいい? 」

という動揺を抱いた自分の心が、何十年経っても硬直したまま、

癒されることがなかった為だと感じていました。

人間の豹変する瞬間。

恐ろしい形相に変わる、その瞬間だったり、

突然の暴力に変わる瞬間だったり。

それまで穏やかに微笑んでいた人が、鬼の面相に変わる。

ギョッとして、当然ですよね。

★ ★

その記憶と、実はリンクしていたのが、

昨日の「携帯叩きのおじ様」だったのです。

で、そこから感じたのは、

〔 それは偶然ではなく、見せられたことだった 〕

ということでした。

つまり、

私自身の人生にとって、

その状況を目の当たりにすることはは必要だった。で、

「 何をそこから学び取るのか? よく考えてみなさい! 」

という声が聞こえた気がしたのです。

なるほど。

だとしたら、どんな学びか?

と考えたわけで。

それが、昨日今日のテーマとなっているのですが。

もう、ほぼ言い尽くしていますが、

やはり感じたのは、

人の感情 ─ 怒り編 ─ ってことです。

Sさんはコーヒーをかけられて、

驚き → ショックを受け →

悲しみ → 泣く代わりに平静を装い、怒った!

その怒りを表出させる事によって、悲しみの器をカラにしたかった。

つまり、

悲しみで一杯になった器から → 怒りの器へと、感情を移した。

それで彼女はラクになったのか?

それが彼女にとって、どんな心情を次に呼んだのか?は不明ですし、

余計なお世話ですよね、彼女にとって。(今なら判ります。)

でも、私にとっての人生テーマとしたら、

答えは自分で探せます。

彼女のテーマは、彼女にしか答えられないのと一緒ですね。

じゃ、自分にとって、これらは何を学ばせたかったのか?

具体的には、

怒ったところで、事態は変わらない

ってことです。 ← あまりに単純ですが。

 (しかし、このシンプルな事実をなぎ倒してる人多いですよね。)

だから、怒りは納められるし、次の行動に出ることが大事。

とどのつまり、怒りの感情っていうのは、

目の前の出来事を理性で判断した後、

自由意志で選択できるんじゃないか?

ということです。

たとえば、

① 「 今は、怒るべき時だ !」 とか、

② 「 いや、今は怒りよりむしろ、善後策を講じて話し合うべきだ 」 とか。

で、①の結論に達したら、思う存分怒ってみせる。

ある面、俳優となって演ずる訳です。

理性で ”怒りを選択” したのですから。

理性的に行う、つまり大事なのは、

情に流されない怒り方をする、という事で、

相手にちゃんと判る怒り方をしてあげる。

それは、

「 コンコンと説きながら、慎重に言葉を選び・・・ 」

という態度です。

例えばSさんの立場で怒るとしたら、こう言う。

「 私、悲しいです。

   今日、すごく楽しみにして来てて、

   この洋服も実は何時間もかけて選んで、

   ちょっと高いけど、頑張ってふんぱつして買っった物なんです。

  その凄くお気に入りの服を着て、

   この大好きな場所で、お友達と美味しい食事が出来て、

   ホント、凄く幸せだな~、って感じてたんです。

   もうすぐ最高に楽しみな講演会が始まる!

   って、ドキドキして、最後のコーヒー待ってたんです。

   なのに、こんな残念なことになっちゃって。

   ホント、泣きたいです。辛いです。

   ごめんなさい。いい大人なのに、涙出てきました。

   情けないです。

   たかが洋服って思われるかもしれませんが、

   私にとって、本当に宝物なんです、この服。

   コレ来て出席するの、何日も前から楽しみにしてて。

   なのに・・・なのに・・・ 直前になって、こんなこと・・・。

   想像もしていなかったし、こんなこと初めてで、

   もう、どうしていいかわからないんです。

   ほんと、自分で自分がわかないです。

   ・・・ でも、かかっちゃったモノは、どうしようもないですね。

   責めてるんじゃないんです。

   責めても洋服が元に戻るわけじゃないって、判ってるから。

   ただね、知っててほしかったんです。

   私がどんな思いで、今日ここに来たかってこと。

   店長さん、そんなに謝って下さってるし、

   心からのお詫びだって、私にも判りますし、

   もう、それ以上、頭さげるのやめてくださいね。

   そして、これからはどうぞ、気をつけてください。

   自分がこんな思いしたから判ります。

   どれだけショックかって。

   だから店長さん、お願いです。

   もう二度とないように、本当に気をつけてください。

   イロイロ言いました。

   でも黙ってて恨んじゃうより、言ってしまいたかったんです。

   言いすぎかもしれません。

   今は頭が混乱してて、よくわかりません。

  でも、私の正直な気持ちです。 

・・・ こんな感じでしょうか。

ドラマじゃあるまいし、言えるか! って思いますか?

でも、言えるのです。

なぜなら、その現場も、私は遭遇したことがあるからです。

もちろん、全く別の状況でしたが。

これは、また別の機会で。

★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

そうなんですね。

言わないと駄目! ただし、

怒りにまかせるのではなく、感情に訴える方法で。

そして、実はそれは、凄く勇気のいることなんです。

だって・・・人前で、「 私、悲しいです。」 って、言えますか?

言えないと思います。なかなか。

子供じゃあるまいし!

ってことです。

でも、大の大人が言うからこそ、価値のある言葉なんです。

怒りの前段階は悲しみ

と、しつこい程私が言っているのは、

実は、<その悲しみをちゃんと相手に伝えることが大切>、

というのとワンセットで大事だ、と思っているからでもあります。

「 そんな恥ずかしいマネ出来るか!」

という思いが、日本人には特に強くて、

< 自分の弱い部分をさらけ出す >

ということは、武士道精神に反する訳です。

だから、「 女々しいヤツめ! 」 と思われるのが怖さに、

悲しい、辛い、

という状況を説明することが、かなり苦手なんです。

ほとんどの人は。

男性だけではありません。

女性だって、最近はそうなんです。

女性、強くなりましたでしょ?

女々しい女性は、同性に嫌われるんです。実のところ。

だから女性も、「自分はさっぱりとした男らしい女」として、

自分を演出させたがるのです、昨今は。

その方が、会社の中でも生きていきやすい。

< つきあいやすい人 > と思われて、仕事もスムースに進む。

「 男に泣いてすがって ・・・ なんて、時代錯誤もはなはだしい!

 今は自立した女がカッコいいんだから。

 強く生きるのよ。女だって、強くあるべきなの! 」

・・・ と、いう具合です。

だから、<弱さを見せる> なんて、とんでもないこと!なんです。

だから、<クレーマー女子> が増えている訳で、

それは、< モンスター女子 > に発展している現状です。

「 泣き寝入り? はぁ? 冗談でしょ! あたしゃ、はっきり言うわよ! 」

という構図です。

そう。

男女問わず、強さを売りにする時代。

でもあるのが現状です。

 ※ 二極化として、真反対の男女もモチロン居て、違いは判り易いです。

で、その強さに価値を置いている人々は、

泣き演技が出来ません。

というより、しません!絶対に拒否します。

とことん嫌っているからです。 ← 何を?

自分の心底の悲しみを見せるのは。

本当の心は、苦しい・しんどい・辛いと叫んでいても、

公にバラされるくらいなら、いっそ! → で、

【 怒りの大爆発 】 を起こすのです!

それも、爆弾級の怒りを、です。

「 弱い犬ほどよく吼える 」 って、アレです!

そう。

弱いんです。ホントは。

人にどう思われる、ってことに、いつも汲々としてる。

・・・ 一方、魂が強くて堂々と生きている人って、

自分の感情を表すの上手です。

自分の内面をしっかり理解しているから、

それを外に現すからといって、

どう評価されるかなんて、全然関係なく、

自分を自分としてちゃんと評価している。

だから、どんな自分をさらけ出しても、自然体でいられて、

泰然自若。

なんですよね。

なんというか、< カボチャみたいな存在感 > なんです。

【 ドカンと座れば動かない 】 的な。

その、カボチャになれない男女が、怒りをぶちまける。

それが、私の得た答えでした。

だったら、カボチャになってしまえ! って話で。

見た目無骨で、愛想がない。

固くてなかなか、主婦に買ってもらえない。

しかし、調理すればみんなに愛される。

愛される存在って、いいじゃない?!

ってことなんです。

私にとって。

★ ★

少しズレました。

ただ、言いたいのは、

< 怒りの発露が上手に出来れば、すばらしい人間関係が築ける >

ということです。

その人がどれ程の思いで、今、こうして語ってくれているのか?

それがわかると、

「 そうか。こんな深い気持ちを抱いていたんだな。

 本当に申し訳なかった! 」

としみじみとした思いに、自然となるはず、、、なんですね。

普通の人間ならば。

だから、そんな気持ちを打ち明けられた後は、

ある種、” 裸の付き合い ” が出来るようになる訳です。

温泉に入って、見知らぬ同士が仲良くなれる、

それと同じ効果があるのです。

普段身に纏って(まとって)いる ”鎧” を脱ぎ捨てる行為だから。

それは、

「 あなたに敵意を持っていません。安心してください。」

と言っているようなものなのですね。

敵意がない。

と判ると、

それまで、ウーッとうなってた動物も、途端に近付いてきますよね?

それと同じだと思うんです。

” 徒手空拳(としゅくうけん) の強さ ”

っていうのでしょうか。

そんな凄みも感じるのです、弱さを現せる人には。

裸で温泉に入って、他人と交われる人って、

自分の裸に自身があるからじゃなくて、

ただ温泉に浸りたくて、

同じ思いの人がいたら、心の鍵をとっぱらって仲良くしたい!

という純粋な思いしかないと思うのです。

< あるがままの自分、あるがままの相手 >

で、お互い気分よく過ごす。

それだけで良くて、それだけで幸福で、

つまり究極のシンプルさ。

なんですね。

ごちゃごちゃ考えない。

そこには、見得もプライドもない。

─ 自分は敵じゃないんですよ。同類です。 ─

そんな声で一杯。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

ぶちまけられたコーヒーと、ぶちまけられた怒りは、

こうして腑に落ちました。

表現方法の工夫は、相手への愛情を示す為に必要なこと。

全ては自分を判ってもらい、相手を理解するために行う。

だから、今の自分の感情を抑えないこと!

今後この結論がどう変化するのかは、

次の人生テーマ次第ということで。

で、今日のひびき。

< せめて自分は正直に生きたい!>

2012年5月15日 (火)

怒りの矛先(ほこさき)

携帯つながりで、

今日は以前のビックリ・シーンのお話から、まず始めます。

昼間の山手線車内での出来事です。

平日の午後、( 当時は休日が平日だった為、)

出かけた時の事だったと思います。

車内は比較的すいていて、多少立っている人が居る程度。

会話をする人もほとんどいなくて、かなり静か。

周囲はと見渡すと、大学生位の若者が着席して、携帯開いて、

メール?に没頭中の人が、数人。

あとは、覚えていない程度の、ごくごくありふれた日常のひとこま。

・・・ の筈だったんですが、、、

突然、バシッ! という、何かを叩くような音がして、同時に、

「 何してんだ! こんなもの車内でするんじゃない! 」

と、いう怒鳴り声が響きました。

驚いてそちらを見ると、

一人の男性が、いきなり若者の携帯を払いのけていたのです。

その男性、60代?白髪まじりの短髪で、中肉中背な感じ。

つり革につかまっている方でした。

で、つかまっている手はそのままに、

もう片方の手でバシン!とやった訳で。。。

その顔は、憤怒で燃え上がり、若者を睨みつけていました。

もうこれ以上は憎めない!

という程の憎しみをこめた表情でした。

仁王立ち。

その言葉がピタリとあてはまる、そんな顔、体の筋肉の表情でした。

一方若者は、は・と・ま・め (鳩が豆鉄砲食らった) 表情で。

一瞬ポカンとしてました。

「 一体いま、何が起こったんだ? 」

と、目をパチクリ。

そりゃそうでしょう。

目の前には、恐ろしい形相(ぎょうそう) のおっさんがいて、

自分を睨みつけてる。

まるで、正義の番犬みたいに。

持ってた筈の携帯は、自分の膝の上に転がってる。

「 はぁ? 」 

でしょうね、当然。

で、瞬時に、自分の大事な携帯を、見ず知らずの人に叩き落とされた!

と判り、

「 なんだー? 何すんだよ? 」

と思うのは、自然の成り行きです。

もちろんその若者も、そう言いかけてました。

口パクだけでしたが。

驚きすぎて、声がでない!

。。。 そんな感じでした。

実際の言葉は、

「 な、なに・・・ !そんな・・・ !」

という音が、かろうじて私には聞き取れました。

その間、ずっとパクパクは続いていましたが。

よく子供が母親に注意されて、やる、アレです。

「 早く宿題しちゃいなさい! いつまでテレビ見てんの! 」

に対しての態度です。

本当はちゃんと言いたい!

「 やるよ! 言われなくたってちゃんとやるさ!

  何で子供を信じられないかな? お母さんはいつだってそうなんだ。

  もっと僕を信じてよ! 頭から決め付けんなよ! 」 と。

でも、母親のあまりの強さに言い返せない。

だって、言ったら、また、数十倍の弾丸となって返ってくる!

と、判っているから ・・・ とてもじゃないけど言えっこない。

ホントは心のどこかに、少しの後ろめたさがあって、

「 ソロソロ勉強しなきゃな。 」

とも思ってたから。

そこにもってきて、母親の正論。

「 判ってるさ。お母さんは正しいんだ。

 僕はいつも、もう少し早く机に向かおうと思ってるくせに、

 意思が弱いから、ついついダラダラしちゃうんだ。

 で、テレビ見ながら内心オドオドして、

 そろそろ勉強始めなきゃな。

 って思ってるくせに、心のどっかで、

 ” まだいいじゃん。も少し大丈夫だよ。あと○分。

 これが終わったら行けばいいよ。もう少しだからさ。”

 ってウダウダして、結局いつも流されちゃうんだ。

 僕だって、勉強は嫌いじゃないよ。

 始めれば結構ガンガンやるしさー。

 ただ、とっかかりが遅いんだ。

 テレビから勉強に切り替える、そのタイミングが遅いだけなんだよなぁ。

 だからお母さんはイライラしちゃうんだ。

 わかってる、わかってるさ!

 ホントは、僕が悪いんだ。ってね。

 だけど、ああも頭ごなしに言う必要ないだろ?

 もっと言い方ってもんがあるじゃないか!

 僕だってバカじゃないんだ。ちゃんと言われれば判るのにさ。

 だから素直になれないんだ。

 お母さんだって、悪いんだからね。!」

と、内心は言いたい!

しかし、母親の意見は完璧に正しいことを知っているだけに、

その理論の正当性は、疑いようもないことを知っているだけに、

・・・ い・え・な・い !!

母親 = 正しい = 正論 → 強い!

自分 = 行為として正しくないと判ってる → 言い訳 = 情けない

だから、 → 弱い

と、その力関係を、十分過ぎるほどに理解している。

訳です。はい。

だから、結果として、母親に対して自分の心の声を言い切れない。

バシッと最後まで言えないのです。

で、ついには口だけ金魚状態のパクパクで、

心の声を、音に出さずに伝えて、

もし伝わっちゃって、母親に、

「 は?あんた、なーに言ってんの?

 いつだってやるやる言ってて、やった試しないじゃない!

 一度だって自分から率先してやったことあんの?」

とでも言われようものなら、

「 別に僕、何にも言ってないじゃん。お母さんこそ何言ってんだよ!」

と弁解する。

そうです。

弁解の余地をもたせるために、音に出して言わないのです。

声に出す、相手に聴こえるように伝える。

ということは、本当は勇気のいることなんですね。

だから、その勇気がない為の所作動作として、

口パク状態。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

話を戻します。

その若者の、顔面蒼白、口パクは、そんな心の現われだったと思います。

内心は判っていた。

” ホントはここで携帯開くのは、あまり良くないんだよね。

 ペースメーカー入れてる人とかそばにいたら、ヤバイよね。

 悪いよな、そういう人に対して。”

と思ってた。

でも、「 ま、会話してる訳じゃないから、いいよね。ちょっとの間だし。」

と軽い気持ちで、いつものごとく時間を費やしていた。

ところが・・・

いきなり、正義の使者

の、鬼の形相のおっさんが、自分の前に立ちはだかって、

親にすら叩かれたことのない?、この手を、

何の前触れもなく、いきなり叩かれた!

有無を言わさず。

「 弁解なんて、聞く余地もない!」 

とばかりに。。。

< 100%、オレが正しいんだ!

  お前のしてることは、間違ってる。

  さっさと言うとおりにしろ!

  この馬鹿者め! >

” 仁王様もどき ” のその男性の心の声が、全身から漂っていました。

車内は、シーーーン。

と静まり返り、緊張が襲いました。

” もしや乱闘さわぎに発展? ”

と、私も一瞬思いました。

その若者がもし反撃に出て、相手の胸倉を掴み、

「 ふざけんな! 」

と殴りつけでもしたら ・・・  ど・どうしよう! ・・ と。

しかし、若者は静かに座ったままで、

反撃どころか、全身硬直で頬はピクピク。

泣き出しそうな目でしたし。。。

きっと、親に叩かれたことなど、なかったのでしょう。

だから人に叩かれた衝撃に、心が付いていけてない。

そんな感じでした。

もし、叩かれ慣れてたら ・・・ おとなしくしていなかった?

と、そんなことも、後々感じたのですが。

とにもかくにも、その青年はおとなしかったです。

気の毒なほど。

やがて駅に到着して、彼は降りて行きました。

でも ・・・ 到着する駅までの間が、やけに長く感じましたよー!

時間にすれば、ほんのわずか。

1,2分位だったのですが。

硬直した時間って、止まっちゃんですね。

その動作と表情だけが、やけに印象に残って、

まるでスローモーションのように、何度も自分の中で繰り返される。

その繰り返しの回数ぶん、時間は自分の中で経過している訳で、

だから長く感じてしまったのですね、きっと。

だって、ホントに 「何が起こったの?」状態から、

はっきりと今、目の前で行われていることを認識できるまで、

何度も何度も、頭で繰り返しましたからね。

1分 × 3回、 いやいや、 5回位 はリフレインしてたような ・・・

とすると、ゆうに5分は経過した感覚だったんですよね。

自分の中の ”感覚時計 ” は。

そりゃ、長いです。いえ、長く感じる訳です。はい。

  ◆ ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:* ◆

で、実は驚くべきことに、これには続きがありまして。。。

このおじ様、

次に乗ってきた青年にも、やったんですよ、同じこと。

「 ありゃ~。まぁー。やってしまった!」

と、私は、今度は覚悟して見てたので、そんな感じでした。

そしてそして、2人目の被害者、じゃない、

2人目の、

閻魔様にとって、「けしからん」青年は、

やはり同じようにビックリ、お目目パチパチ、

わなわな、口パク・・・で、固まってました。

一人目の時からの一部始終を見ていた車内の人々は、

一様に目をそらし、だれかと合ったその目を今度は泳がせ、

でも耳ダンボ。

「 最初はおとなしい青年だったけど、今度はわからないぞ。

  大丈夫か? 」

的な不安で。

でも、2人目もおとなしくて、みんな ホッ! でした。

 ★★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜ ★★

私には、その時の光景がどうしても忘れられず、

そのおじ様の怒り方が不思議でならず、長い間ずっと謎でした。

「 なんであんな怒り方したんだろ? 」 と。

・・・ だって、普通じゃないですよね?

少なくとも、

社会的な生活を営む、大人としての振る舞いとはかけ離れている。

いくらご自分が年長者で、すでに第一線から離れているとしても、

普通に暮らしているだけでも、人と交わって生きてきたでしょうから。

いろんな人とお付き合いする中で、

どんな理不尽があったとしても、

例え正義が行われない現場に居合わせたとしても、

自分にとって、それらが納得できない事柄だったとしても、

いきなり相手を殴りつけたりしないでしょうに。

怒鳴りつけたりしないでしょうに。

我慢に我慢をかさねて、何とか収めるでしょうに。

それが良い悪いではなく、集団生活の中ではそうせざるを得ない。

・・・ それが社会人ってもんじゃないの?

と思うと、どーしてもその男性のとった行動が、

不可解で、謎で、仕方なかったのです。

身なりも普通で、ちゃんとしてたし。

で、謎は謎のままに。

でも良かったのですが、

「 何とかあの謎を解きたい! 」 という思いが結構強かったらしく、

< 怒り > というテーマを考えると、

常にそのおじ様が デン と居座っていたのです。

ところが、つい最近、その怒りの理由が解けた気がして、

ようやくその記憶を、

「 嫌なビックリ記憶 」 ではなく、

別のモノとして捉えることができるようになりました。

まず思ったのは、

「 あのおじ様の怒りは、

  本当に、あの青年に向けてのものだったのか? 」

ってことだったのです。

どういうことかといいますと。

感情的な分析をしたときに、

怒り は、 悲しみが原因として起こる

場合が大半でして、

たとえば、私がなにかで悲しんだ時、

悲しむだけでは自分が沈んでしまい、やりきれない。

じゃ、どうしたらラクになるか?

というと、どこかに怒りを向けること。

が、その方法になるのです。

具体的に言いますと、

恋人Aさんの誕生日に、私は手編みのマフラーをプレゼントした

Aさんはとても喜んで受け取った。

しかし、後でゴミ箱にそれが捨てられてあった。

知った私はショックで落ち込み、失意のどん底にあえいだ。

悲しい。涙が止まらない。

どうやらAさんには、ほかに好きな人がいたらしい。

自分だけが一人芝居して、思い込んでいた。

悔しい。こんな思いをさせたAさんが憎い。

Aさんが悪いんだ。

Aさんを懲らしめたい。

今度会ったら、ぶん殴ってやるんだから!

★ ★ ●

と、まー、かなり大げさな設定をしてみました。

すべて創作ですので、あしからず。

あまりに三文小説すぎますが、

この位現実離れしてると、ユルユルな気持ちで・・・。

で、話を戻して、、、

この時の私の心情ですが。

悲しみの大きさはハンパじゃない訳です。

その深さたるや、1日2日じゃ癒されないほど。

大好きだった、いえ、今でも好きな男性に裏切られた訳ですから。

ただただ嘆き悲しみ、自分の殻にこもり始めます。

で、ふと思う訳です。

「 どうして私ばっかりが、こんな辛い思いしなきゃいけないの?」

「 Aさんだって悪いじゃない?

 私にこんな気を持たせるそぶりして、ひどいじゃない!」

って。

そして、

「 Aさんも私同様に苦しまないと、私が可愛そうすぎる!」

という心理に発展するのです。

※ 大切なのは、ここで自分を責め暮らしてはいけない、という事です。

   病気になったり死にたくなったりします。

   正当な怒りは持つ。そうしたら、鎮める。それが健康の秘訣です!

     あしからず。。。

  ..。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

さて、Aさんを苦しめる、つまり、自分と同じ痛みを味わってもらうには。。。

具体的には、

① 身体的・言葉としての直接ダメージを与える。

② 精神的にジワジワ痛めつける。

などなど。(サスペンスドラマではないので、この辺でストップ。 )

・・・ で、①を取った場合、

Aさんにとっては、私に怒られる。

という状況に追い込まれる訳です。

ようやく出ました。 ”怒りの発露” です。

私は ”怒る” のです。

方法は言葉で、場合によっては平手打ちで。

で、私の気持ちは、と言いますと、

「 あー、すっきりしたー 。」

と、なるのでしょうか?

残念ながら、何かまだ、すっきりしないのです。

自分の気持ちをAさんにぶつけ、思いのタケをぶちまけたのに、

「 変だなぁ。何か、モヤモヤしてるな。」

なんだかしらん?

頭の周りを、

クエスチョンマークがい~っぱい飛びかってるんです!

私は考えます。

 ↓  そして、気づきます。

まっ、私も悪かったのよね。

勝手に思い込んで、舞い上がって、

Aさんの本当の気持ち、確かめたことなかった気もする。

Aさんの態度だけで、「私のこと好きでいてくれてる」って、

都合よく思い込んでたのよね。

怖くて確認できなかったのかも ・・・ ホントは。

だから一気にプレゼント攻撃!なんて、暴挙にでたんだよね。

よく考えて見たら。

アーッ。そうかー。

自分も悪かったんだ!しまったなぁ、って感じだな。

でも。。。よーし!これで一つ学んだぞ。

次に素敵な男性に出会ったら、今度は一人芝居はしない!

ちゃんと思いを伝えて、相手の気持ちも確認して、

お互いに理解しあって、素敵な関係を築くんだ!

判った。頑張るわよ~!

・・・・・

そして後日、私は素敵な男性と出会い、

前回の教訓をバネに、幸せな日々を過ごしたとさ。

<おしまい>

って、<長生き思考が服着て歩いてる>私の、

つたない演技力でしたが・・・ 。

でも、お伝えしたいことは、判っていただけたのでは?

と勝手に感じてます。

そうなんです。

つまり、

悲しみ → 怒り → ぶつけた → 虚しい・晴れない ⇒ なぜ?

それは、

< 怒り > は、本当は、八つ当たりにすぎなかったから。

つまり、

〔 本当は自分の冷静な判断ミスが引き起こした結果だったのに、

  自分の非を認めるのが怖くて悔しくて、

  自分自身の内面を見つめることから逃げていた、 〕

というのが本当の答えだったから。 

  ← Aさんへの怒りは八つ当たりだった!

Aさんは、私の怒りの本当の対象ではなかった。

本当の対象は、自分自身だった!

・・・ ということなのです。

だから、もし正しく?怒るとしたら、こうだったんです。

「 あー、もう! 私のバカ!

  どうしてAさんともっと正面から向き合わなかったの?

  たとえフラれるのが怖かったとしても、勇気を出して、

  もっと早く確かめるべきだったな。

  もしフラれたら、そん時はそん時よ。

  おとこなんて星の数ほどいるんだから、

  次の恋に向かえばいいだけの話じゃない!

  臆病なんだから~。メッ!私の欠点だったんだ。

  まっ、いいさ。ここまで判ったら、すっきりした!

  反省したから、あとはもう、自分を責めるのはよしましょ。

  私も一生懸命やってるもんねー。

  わかってるよ。いつもありがとね。

  でも、バカやったら、また自分のこと怒っちゃうかもしれないけど、

 その時はゆるしてね。よろしく!!」

・・・ と、こんな感じだと思います。(自分との対話です!)

事実は → 怒りの対象は自分。

勇気を持って内省すれば判ること、だったのです。

そう。

内省とは、すごく勇気のいることなんですね。

自分のイヤな面を見つける。見せ付けられる。

苦しいです。

だから、そんな苦しみから逃げるために、外に虚構の敵を創り出す。

自分以外を敵視したほうが、ラクなんです。

自分のこんな部分が弱い。

とか、

< その弱さの結果、自分の思い通りにならなかった。>

なんて、死んでも認めたくない。

自分のコノ部分が悪かったから、あの結論に至った。

と認めることは、人生を長く生きてきた人間にとっては、

一層至難の業なのですね。

特に、バカになりきれない生真面目な人にとっては。

失敗して、

「 あーあ、またやっちゃったよ。ったく、オレってバカだよね。」

と、笑い飛ばせる人は大丈夫なんです。

でも、失敗したら恥ずかしくて、ホントに自分を責めてしまい、

内心すごく動揺してても、体裁を保つ為に平静を装う人は、

要注意なんです。

要するに人目を普通以上に意識してしまうタイプの人ってことです。

意識過剰な人。

その人にとって、失敗を自分の短所が生み出したもの。

と自覚するのは、自己信頼をガラガラと崩されるような気がして、

自分自身が崩壊しそうで、怖いんですね。

自己信頼。

を、本当は自身の価値感でしていれば全く問題ないのですが、

他人の価値感で自己信頼している人 = 意識過剰な人

なので、

失敗 = 他人に軽蔑され、バカだと思われる = バカな自分

という虚構の方程式が、自然と成り立ってしまうのです。

たとえ一部分でも自分の性格を否定するような思考は、

( 本当はそうではなく、自分を見つめるだけなんですが )

とりもなおさず、

自分の歩んできた人生そのものへの否定のように感じ、

それは自分の存在そのものを、自分から否定するような苦しみを伴う。

存在の否定って、究極、人間やめます。

っていうのと同じなんですね。

存在を肯定 = 人間として生きる証 = 人間の証明

本当は内省っていうのは、

自分のいいところ・わるいところ、

イロイロあるけど、全部ひっくるめて静かに見つめる。

ってことで、

自分を否定したり責めたりする目的ではない。

あくまでもそれは、人生をよりよく生きるため、

もっと人生を楽しむため、

もっと自分を<思い込みという檻から自由にしてあげる>ため、

であって、てっとりばやく言うと

【 幸せになる為 】

に行うもの。

なのに、周囲にすべての責任をかぶせて、

自分は怒りまくる人が最近増えているように思えてなりません。

「 オレを怒らせてるのは、お前だ~! お前が悪いんだー!」

って。

書ききれませんので、またの機会に。

そんなこんな考た時、私はあのおじ様がなぜ怒ってたのか。

ようやく判った気がしたのです。

何か悲しい出来事があったのかな?

と。

で、その悲しみってどこから来たのか?

と、余計なお世話で想像してみたら、

ふっと、子供のケンカを思ったのです。

気の優しい、ちょっと恥ずかしがり屋の男の子が転校して来た(B君)。

早く友達がほしい。

何とか打ち解けよう、と思う。

「 まず最初に挨拶だ!」

と気付き、頑張る。

「 おはよう! 」 と、隣の席の子に声をかける。

でもB君の声は、あまりに小さくて聴こえない。

隣のC君は、わざと無視したんじゃなくて、

本当に聴こえなかったから、別の子とおしゃべりを続けた。

B君はショックを受ける。

C君はB君と違って、大声で話し、友達も多そうな人。

気を取り直して、翌日、B君は再び挨拶をした。

でも、本当にちっちゃな声だから、だれにも聞き取れない。

で、今度もC君は無視。

( 実はほかの子との話に夢中で、気付かないだけ。)

B君は内心、

「僕のこと、嫌いなの?」と勘違いして、ショックで泣きそう。

休み時間。

B君は、気を取り直してC君に声をかける。

やっとC君は、ふりむいて、笑顔を向けてくれた。

B君は嬉しくって、「友達になってね。」

と、勇気をふりしぼって言った。

でも、その声も、またまた小さいから、C君には届かない。

「 えっ?何? 聞こえないよ。 」

そこに別の子がやってきて、C君と楽しげに話し始める。

B君は、無視された。

( 本当は子供なので、気配りできなかっただけで。)

・・・

しばらくして、B君は突然C君の肩を思い切り ”ドシン” と叩き、

半分泣きながら、怒った顔をしてC君を睨みつける。

C君は突然のことに、何がなにやらわからない。

~~

こんな場面が思い浮かんでしまいました。

そうです。

そのおじ様がB君。

つまり、上手く会話できない腹いせ。

が、突然の暴力となって、むき出しの敵意とともに表出した。

もちろん、そのおじ様は子供ではありませんから、

状況は違っていたでしょう。

が、たとえば社内で、

自分としては一生懸命語りかけ、人間関係を良くしようと努力し、

様々なシーンで頑張ってきた。

けれど何度か誤解され、会話そのものが嫌になった。

「 どうせ通じないんだろ! 」

「 オレの言うことなんか、だれもまともに聞いちゃくれないんだろ!」

と、いつしか会話による意思疎通に不信感を持つようになった。

それは、

女性がいれてくれたお茶に、「ありがとう」とお礼を言ったのに、

無視された。

・・・ そんなささいなことがきっかけだったのかもしれない。

でも、そんな小さなできごとの、毎日の積み重ねが、

その男性の悲しみを募らせ、怒りに変換させたのかもしれない。

「 言葉で言ってもわかってもらえない!」

という思い。

小さな子供の暴力は、こんなことが原因だったりしますね。

まだ言葉を多く持っていない。

語彙力がないから、どう表現していいのかわからない。

その苦しさゆえに、暴力をふるい、相手にぶつけてしまう。

ぶつける行為は、会話の変形にすぎない。

そう。

体で会話してるんですね、当人は。

相手と接点を持ちたい。

そばにいて、自分の存在を知ってほしい。

でも、会話だと上手くいかない。

だから、手を出す。

相手に興味があって、そして、自分にも興味をしめしてほしい。

たとえ相手が怒ったとしても、

「 なにすんの?いきなり! 」

という会話からスタートしたとしても、

相手がびっくりして自分をマジマジと見て、

自分が今、ここに居ることを認めてもらえてる証拠だから、

とても嬉しい。

無視されるより、嬉しい訳なんですよね。

だから、それは、 

<超ド級に不器用な人>

ってことになる訳です。

本当に相手を憎んで、また、興味もなかったら、

手なんて出すはずないんですから。

手を出すってことは、相手とつながりたいんです。

自分を知ってほしいんです。

でも上手く言えない。

なら、ケンカでもなんでもいいや!

ってことになってしまう。

つまり、ケンカによって、コミュニケーションをとってる。

のです、本人としては。

よくありますよね。

不器用な父と息子の関係にも。

『 美味しんぼ 』 という、超ベストセラー漫画も、

そんな親子関係でした。

父親は息子と口を聞きたいんだけど、

過去にイロイロしがらみがあって、普通に会話できない。

会うと憎しみ合う言葉しか、お互いに出てこない。

息子は父親の潜在意識を知らないから、本気で立ち向かう。

父は、事情がどうあれ、

息子と触れ合えるのが嬉しくてしかたない。

だから、いろんな場面で息子が怒るように仕向ける。

息子が自分と正面切ってケンカするのが、嬉しくて嬉しくて。

・・・ もちろん、そんなト書き、漫画には載ってませんでした。

あくまでも、私の勝手な解釈です。

でもね、そのおじ様の態度、

その父親とそっくりだったんです。

憎しみのこもった表情で、突然手を上げる。

でも、それは本当は愛情表現の裏返しだった。

本当は、穏やかに話したい。

微笑んで語りかけ、優しい笑顔で答えてもらいたい。

「 電車内で携帯開くのは、やめたほうがいいんじゃないのかな。」

とかなんとか。

で、「 あっ。ごめんなさい。少しだけと思って。気をつけます。」

なんて会話できたら、最高だよな。

と心の奥底で思ってる。

でも、

「 うっせー。くそじじい。」

とか言われたら、

せっかく相手を思って、愛情から言った言葉が通じなくて、

おじ様は数十倍、傷つく。

もしかしたら、そんなやり取りがあって、

” いきなり携帯叩きのおじさん ”

に変わっちゃったのかもしれない。

悲しい現実です。

繊細で傷つきやすい人なんでしょうね。

あくまでも想像です。

でも、人間の本質って、みんなそう変わりないと思うんです。

だから、生まれつきそんな偏屈な人って、いないでしょ?

赤ちゃん、天井見て、一人でキャッキャしてますから。

「 何がそんなに嬉しいんだい?」 

と思わず、問いかけちゃいますよ。

あんな顔、見せられたら。。。

おじ様だってそんな頃があったのですから。

だから、人は、もって生まれた真っ白な部分っていうのは、

もともと同じだと思うのです。

それが、いろんな色づけされていく。

でも、そのもって生まれたものというのは、奥深い部分で、

みんな自分の中にあるものだから、

わ・か・る のではないか? と思います。

ただ、忘れているだけで。

~~

しかし、、、そんなおじ様のような人、

周囲にとってはいい迷惑です。

もう、いい大人なんだし。

って、感じですよね。

でも、そこに行き着いた時、私の積年の謎が解けまして、

ああ、さびしかったんだな、あのおじ様。

と思ったら、記憶の塗り替えが行えたのです。

でも、そのおじ様のような人も、

それはそれで、その人だけの人生テーマでしょうし。

他人がどうこうできないですしね。

やはり、それもこれも学びということで。

さて、本当はもう一つお話があったのですが、

次回にします。

これもビックリシーン!だったので、ずっと心に居続けてます。

では今日の心の響きです。

< その怒り、誰へどこへと向かうもの? >

2012年5月14日 (月)

携帯で話しながらレジ?

よくいました。こういうお客様 ・・・ 。

接客業をしていた時、初めてのカルチャーショックでした!

正直、「 傷つくな~。。。うーん。。。 」 の思いでしたので。

それ以前は、自分が顧客として、周囲にそういう人が居ても、

「 ああ。こんな人もいるんだ。失礼だなぁ。」

くらいにしか感じていなかったことが、

イザ、自分が相対する立場になった時、

あまりにショックで、更に、その傷ついた自分の気持ちに驚いて。

の、ダブル・ショックだった訳です。

レジなので、お金さえ出していただけば、

まあ、事は運びます。

別にクレームをおっしゃる訳でなく、

大騒ぎするでもなく、また、列を乱す訳でもないので、

店側からすると、何の問題もないお客様な訳で。

お客様(Aさんと仮に呼びます)は、ただ自分の世界で、

楽しげに携帯で会話を続けています。

目の前にスタッフが居て、

「 ○○円でございます。」

と言った時も何の反応もせず、

ただ、レジをチラ見して、恐らく目視(もくし)し金額を確認して、

ポケットからおもむろにお金を取り出し、

トレイに、(これまた腹立たしいのですが、)

投げ出すように、

少しマシでも上から降りかけるように、

お金を扱います。

” ポケットから ” ということは、

そうです。

圧倒的に男性が多いです。

が、時々女性もそういう感じで、、、

もう泣きたくなりました!

女性の場合、レジ台の上にバッグを置き、

空いてる片手でバッグの中をモゾモゾ。

そういう方に限って、なかなかお目当ての財布が取り出せない。

で、かなり苦心しながらようやく財布を探り当て、

レジ台に財布を置いて、

そこから更に片手で財布を開けて、

金額に見合ったお金を取り出そうと ・・・ するのですが、

これ、結構大変なんですよね。

いつも私達は両手で難なくこなしている動作なので、

気づかなかったのですが。

お札を出すだけなら何てことないのでしょうが、

こまかいお金を出そうとすると、

まず財布の口が閉じないように指で押さえつつ、

欲しい金額を指で掴む動作になると、

かなり器用さも必要です。

あーっ。

問題は、器用不器用ってことではないのですがdown

見ていて、ホント。

疲れるのです。

で、そんなに大変な思いをしているのに拘わらず、

電話は手放さない。

そうです。会話は続けたままなんですね。

そうして、綺麗にマニキュアをした爪から繰り出される、

お金への悲しい扱いは、

「 人間として、その態度はどうなの?! 」

と、何度も怒りたくなったのです。

まず、レジスタッフが目の前にいるのに、

携帯使い続けるその姿勢。

「 あたしは要らないのね~。

  自販機並としかみてないのねー?

  でもねぇ、あたしは に・ん・げ・ん なのよー!」

って、何度も語りかけてましたよ。心の中で。。。

そうなんです。

相手を人扱いしてないんですね。

Aさんの態度から感じられるのは。

「 ちぇっ、めんどくさいなぁ!

  今大事な電話中なんだから、邪魔すんなよな!

  金さえ出しゃいいんだろう?

  ったく、自販機ならラクなのになー。」

で、

「 ほらよ。金だよ。有難く受け取りな! 」

という声が、聞こえてきちゃうんですよね。

あそこ(レジ)に立つと、不思議と相手の声が聞こえるのですよ。

それは、近くで見ていた時には感じられなかったAさんの声で、

真正面からだと、あからさまに伝わってくるダイレクト・メッセージ。

よくありますよね。

「 あっ。見たくないもの見ちゃった!」

っていうこと。

一瞬、目に飛び込んできたある人の表情に、

あきらかな嫌悪感を現した、その表情に、

こちら側が動揺してしまうことって。

でもそういう場合は、本人も必死に隠している、

自分の本性がタマタマ暴露された訳なので、

まだ可愛げがあります。

何せ、このAさんは、隠そうとしていない。

むしろ、

「 べーつに、悪いことしてる訳じゃなし。

  モノ買って、金払ってんだから、文句ないだろ?

  ごちゃごちゃうるせーんだよ。

  さっさと、ツリ よこしな!

  こちとら忙しいんだからさ。」

的な心の声が、まっすぐに聞こえてしまうのです。

男女問わず、この内容が、はっきりと聞き取れましたよ。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

こわい!

と感じました。

感覚が ・・・ です。

最初は、「失礼な!」

と思いましたが、だんだんと気持ちが煮詰まり、

禁断の一言を口走りたくなるのです。

「 親の顔が見たいわよ!」 と ・・・ 。

いえ、心の中ではその都度、言ってましたけど。

このときの自分の気持ちの推移を分析すると、

携帯使いながら目の前にAさんが立つ

「 あれっ?電話、切らないのかなー? 」

「 ちょっと待ってよー。私は機械じゃないのよー。

  人間として見て、話してほしいの!」

という悲しさで一杯になり

( 何せ、自分の存在を全く無視され、

 ” あたしゃ透明人間?” 

   って、自分につっこみ入れてた位ですから )

つまり、存在を完全否定されてるということで、

これは人間として、

「 あんたの存在意味はないよ。居ても居なくても お・ん・な・じ!

  まっ、あんたに価値はないってことだよ。わかったー? 」

と言われてるようなものですから。

自分の本質そのものにまで踏み込んで、拒否されたような、

それはつまり、

ここに今生きて、居ること自体を否定されたような、

” 人間としての完全否定 ” とも受け取れる訳です。

※ 余談ですが、そうしたハラスメントに苦しんで自殺する人、

   多いんです!

   無言の内に繰り出される、人格否定・人間否定の態度。

※ 本当は、悲しみの後に怒りの感情に流れれば(後述)、

   気がラクになるのですが、

   繊細な人はこれが出来ないのですね。

   ただただ、自分を責めてしまう。

  「ああ、私は不要なんだ。いちゃいけないんだ!」 と。

   そして悲しみに溺れ沈んで、自分の存在を失くそうとしちゃう。

   でもそれは違うから。

   だめですよ、自分を責めちゃ!

   自分は悪くないんですから。

   ちゃんと怒りを持って下さい! 正しい ”怒り” を!

→   一方、

スタッフは、そんな悲しみに打ちのめされるようでは、

お給料頂けませんから、

そこからググッと気を強く持ち、自分を建て直し、

で、いざ、【 怒りの発動! 】 です。

これは、実はとても大事な心の持ち方なのです。

怒りという感情。

スピリチュアルに目覚める頃は、

「 よくない感情だから、なるべく感じないようにしなきゃ!」

って、思うのですね。

私がそうでした。

でも、ホントは違うんです。

どの感情も、大いに感じて良いのです。

だって、人間なんですから。

神様から感情を与えられたのは、

  ↓  ( 想像上の神様メッセージです。 )

思う存分楽しみなさい。その感情を全部味わってごらん!

人間で生まれた意味を、その感情が教えてくれるから。

押し込む必要のある感情など、何もないんだよ。

もしそんなものがあったら、最初から与えていないよ。

良い悪いと判断するのは人間の癖だね。

だが、どんなモノにも価値がある。

そう、感情にもね。

それらにどんな価値をつけるかは、自分次第。

まっ、そもそも価値という言葉自体、

何かに点数をつけたがっている心の現われだからねぇ。

価値があるとか無いとか言い始めると、

話しが振り出しに戻るから、それは止めておこう。

ともかく、感情というモノは、

いや、今アルもの、存在する全てのモノには、

ちゃんと意味も価値もあるのだ。

と、覚えておいてほしいな。

だから怒りという感情も、すごく大事なものなんだ。

それ自体が良い物でも悪い物でもないんだよ。

大切なのは、その感情を持った自分を、

ちゃんと認めてあげること。

「 ああ、自分は今、怒ってるなぁ。」

と判ったら、何故か?

と、自分に問いかけるんだ。

自分の本当の気持ちを探るんだよ。

たとえばこうしてみる。

Aさんの態度は、あなたを傷つけた。

あなたは悲しい。

自分は居なくても、Aさんにとって問題ない。

Aさんという世界に、あなたは不要だ、というレッテルを貼られた。

だが、ちょっと待てよ。

ここであなたは考えなきゃいけないよ。

本当に自分は不要なのか? ってことだよ。

つまり、「 あなたは不要 」

というのはAさんの価値観だよね。

じゃ、あなたは自分の価値を、どう思っているの?

Aさんにそう思われて、

「 はい、そうですか。私、居ちゃいけないのね。。。」

と、そう感じるのか?

それとも、

「 私の価値は、私が自分で決めますよ!

  私は自分にとって、とても大切な存在なんです。

  自分はここに居ることが必要なんです!

  なぜって、自分でそう決めてるんですから! 」

と、そう言えるのか?

ってことなんだよね。

いいかね。

自分の価値は、自分で決めるんだよ。

他人の価値感で、自分の人生を歩むなんて馬鹿らしいじゃないか。

だって人生って、自分のものだろう?

他人の価値観で生きる人生って、

そりゃ、他人の人生じゃないか?

人の一生っていうのは、そもそも、その人独自のものなんだ。

独自の価値感で、独自の、そう、個性という言葉がいいな。

個性的な道を歩むんだ。

それが、自分の人生を歩む。

ということじゃないのかな?

だから、あなたが悲しい思いをして、

その後、怒りを相手に持っても、

それはあなたの個性なんだから、

いや、それこそが、あなたに与えられた、

あなただけの感情で、あなただけのクセで、

あなただけの色なんだよね。

もし、その色を変えたい!

と思うなら、変えればいいだけの話しだろ?

「 ああ、私はこんなことで怒るなんて、まだ修行が足りない!」

と、具体的に感じるのなら、

どう修行を積んでいったらいいのか、

日常の中で工夫すべきじゃないのかな?

Aさんに対して、怒りを感じた。

「 親の顔が見たい! 」

と思った。

大いに結構じゃないか!

さて、それをAさんに言うのかな?

言えない。そうだよね。仮にも顧客だからね。

あなたは首になる。それは避けないとね。路頭に迷う。

ハハハ。

じゃ、その怒りはどこから来て、

どう対処するのが自分にプラスになる?

Aさんの価値感は、Aさん自身の器(うつわ)に起因するのだから、

それこそ、Aさんの人生の中で、Aさんが片付けるべき問題だね。

Aさん独自の個性なんだ。

繰り返すが、Aさん自身の問題でAさん自身の人生なんだ。

あなたには一切、関係ない。責任もない。

わかる? ・・・ でも、そのとおりだよね?

あなたの人生は、あなたが選び手にした物を、

あなたが必要に応じて創り上げていく。

あなたが自分で個性的に、自分カラーで、

自分だけのモノとして創っていった、

その先にあるものが完成品とは限らない。

いつまで経っても満足できないかもしれない。

行く先が見えにくくて、時々つまづくだろう。

そんな時、「 あなたなんか要らない 」

と言われても、今度は大丈夫だろう?

私はちゃんと必要なんです!

ただ、なかなか進めないし、色も思うように付けられないけど、

今ここに居ること、生きていることが大切なんです!

なぜって、これが自分だから。

これこそが、自分の人生なんですからー!

「 ひとはひと われは われなり かにかくに 

  わがゆくみちを われは ゆくなり 」

” かにかくに ” が大事なんだよ。

とにもかくにも。

海こえ山こえ、いろいろあるけど、なんとかやってみるから。

「 かにかくに 」

まっ、とにもかくにも、<私はOK、あなたもOK>

それでいいじゃない?

だから、これ以上、私の道に踏み込まないで!

あなたはあなたの道を、しっかり踏みしめて歩いて下さい。

私もあなたの人生に首をつっこみませんからー。

私は私の道を一所懸命歩きますから!

と、言えるだろう?

じゃ、話を戻そう。

Aさんの価値感で、あの態度を示されたあなたは、

今なら、どう感じ、どうしたいかな?

 ↓ (ここからは私の答えです。)

こんな態度を取るのは、Aさん自身の価値感だから、

私の存在意味になんの疑いもないなぁ。

私はここに居るからね!

しかし・・・人を人と思わないAさんって、

自分も同じ態度取られても、何とも感じないのかな?

もしかして親に過酷な態度、取られて成長した?

だから、自分が傷つかないように、鎧をかぶっちゃった?

ぶっきらぼうに振舞えば、傷つかないから。

親に冷たくされても、

「 なんともありませんからー 」 的なフリをしてきた?

または、親も同じような態度で他人と接していた?

単に見習っただけか。。。?

または、父親が新聞みながら食事していて、

母親の作った料理を見向きもせず、

子供と目を合わせて会話することもなく、

「 そこに人がいる。

 血の通った、大切な人が居る。」

ということを無視されて、、、

そんな父親の態度を見て育ったのか?

しかし、そんな家庭は冷たい空気の中で食事となり、

いつしか母親も口を閉ざし、

子供も「誰が居ようが、自分の世界が1番」と思い、

部屋にこもりがちになり(傷つかずに済むから)、

親も子供の情操教育なんて全く興味なく、

いや、情操教育の大切さなんて最初から知らない?

ただひたすら、子供のとってくる点数だけに興奮を覚え、

ヒステリックになる。

── 想像してみたら、なんだかなー。

人として大切なことは何か?

本来、幼い頃に教わる。

親の愛で、それを子供は全身で受け止める。

相手の目をみて、ニコッと笑う。

そこに、 

「 好きです。あなたが大切です。」

というメッセージがこもることを、子供はちゃんと判るようになる。

もし、それを3歳までの一番大切な時期に、

教われなかったとしたら?

確かに親の責任。

でも、大人になって、自分を躾けるのは自分自身。

人を人と思わぬ態度で社会人として通用できる、

そういう環境に身を置くのも、自分の選択。

同じような境遇で育っても、

厳しい先輩に指摘され、反省し、

自分を作り変える人は、沢山いるはず。

だから・・・やっぱり、Aさん自身の人生課題は、

自分で創り上げたものであり、

解決するかしないかは、本人の問題なんだな。

だから、他人がAさんの価値感に対して怒りを持つのは、

Aさんにとって、余計なお世話。

な訳で。

よく聞くセリフ。

「 ゆるせない! 」

っていうの。

あれこそ、 「 そんなの、関係ねえ! 」

と言われて当然か。

「 許す許さないって、あんたの価値感だろ?

  オレには関係ねえんだよ!」

となる訳だから。

だから、Aさんのこと、

「 失礼な!許せない! 」 と思うのは、私のエゴだったなぁ。

私の価値感とAさんの価値感は、違って当然だもんね。

Aさんが今後、困った立場になったりしたら、

お気の毒に。(まっ、それも余計なお世話か~ ・・・)

ここまでが、つぶやきです。

  ● ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:* ●

そうですね。

だから結局は、

「 あー。いろんな人がいるよね。」

で、お・わ・り! です。

そうなのです。

最終的には、Aさんのような人に対する感情。

それは、怒りは通り越しまして、

< 単に観察! >

となった訳です。

しかも、

「 どこから、どうお金を出すのか? 」

と、むしろ興味津々でeye

ある面、Aさんにとって都合の良い、

超スマート対応の人間、いえ、スタッフ。

に徹する訳で。。。

そこにプロとしての意地がある訳です!

少しでも待たせてなるものか!

の意気込みですね。

だから、動作に無駄がなくなりました。

相手の目線や指先を、

よーく観察するクセを身に付けたおかげで?、

その後の自分にとって、かなりプラスになりましたしね。

すべては学び。

ということで。

★ ★

しかし、お金を投げる。

上から落とす。

というのも、子供の頃からの躾の一環だと思うのですが。

もちろん、最終的には自分で躾ける自身の賜物なんですが。

なんだか、その態度だけは、許すとか許さないじゃなく、

情けなくなりました!

涙出そうでしたよ。

お金さん。大丈夫?って。

もちろん、大切に大切に受け取りましたよ~。

まあ、それもお金にとっては、

「 想像してた通りの人生だよ~。気にするな! 」

ってことでしょうか?

人生それぞれ。

ってことで・・・。

なんか、歌の文句みたいになっちゃいました!

今日のひびきです。。

< 私の価値は私が決める! >

で、決め!

追伸

今日の内容は、

< エナジー・バンパイア撲滅作戦 >

としても、成立しそうでした!

つまり、

相手をやっつける、相手の責任。

とかではなく、

自分が自分を一番に認め愛し、守る。

って意味で、

” 悪口型エナジーバンパイア4型 ”への対処法に、

  不可欠です!!

2012年5月13日 (日)

初めて携帯を持った日

もう周囲の大半が携帯を手にし始めていて、

「 えーっ! まだ持ってないのー?」

と言われても、私は携帯を買う気になれませんでした。

「 そんなの無くても生きてける!」

答えは簡単でした。

持ち始めた人に聞くと、多くは

「 友達が持ってるから自分も。

  無いと家電(いえでん:家の電話) 使うしかなくて不便でさぁ。

  いいよーこれ。どこででも、気づいた時に電話かけられるし、

  自分のそばにいつもあるから、鳴って即出られるしね。 」

との答え。

でも私は電話魔じゃない。

ほとんど電話しない、来ない。

いらないよねぇ。

・・・ と、ギリギリまで頑張ってました。

が、10歳以上年上の会社の先輩が、

会社から出た場所で、

だれかと携帯で話しているのをある日目撃し、

「 母と話してたのよ。ちょっと体調悪くて心配でね。」

とおっしゃったのを聞いて、

「 お~っ。!そういう使い方もあるんだなぁ。」

と、自分が使う場面を擬似体験した結果、

「 いいじゃん、携帯。私も買おう! 」

となった訳です。

で、私と同様に、

「 携帯? はあ。私は当分いらないわよ。」

と、『何故か同じ価値観を持っていたK先輩』 と一緒に、

買いに行くことになりました。

詳しい経緯は覚えていませんが、

きっと ” ソロソロだよ、コール(心へのコール) ”

が、二人ほぼ同時にやって来ていたのでしょう。

ホントに、ギリギリの瀬戸際な感じでしたよ、周囲の状況を見たら。

別に、我を張って、「 欲しいのに我慢してる 」

って訳ではないんです。

まじめに本気で、「 必要ないよ。 」 と思っていたのです。

家電に長年慣れ親しんできました。

しかも、その電話さえ、

「 用がある時だけ、手短に話せば済むから! 」

というスタンスだったので、

「 あの電話を、いつも自分と一緒に居させるなんて、

  何の意味があるの?

  うー、わからん。。。どこでも鳴られたら、うっとうしいだけじゃん!

  おまけに出るの遅れたら、”何で出なかったの?”って言われたりして。。。

  それって超、ソクバクってことじゃないの?」

と、真剣に拒否ってましたから。

でも、先輩のあの時の、携帯で話す表情を見たら、

買いたくなったんですよねconfident

何と言うか、素の表情だったんですね。

会社で見せる、キリッとした、バシッと物言う態度と正反対の、

何とも優しげで、やわらかな人間的な顔 ・・・。

正直、「ヤラレタ~!」 と思いましたよ。

で、その時思ったんです。

” そうか。携帯って、自分そのものなんだ! ” って。

社会人である限り、会社では仮面をかぶり、

組織の一員として振る舞います。

そこにパーソナルな自己は、というより、

”我” を持ち込むことは禁物で、

組織の中に適する自分を作り上げて、

その中で自分の役割を一生懸命果たし、

他者を認めつつ、折り合いをつけていく。

だからいつしか、

社内では素の自分を見せることは無くなり、

また周囲もそれが、

「 ○○さんらしい。」

と、いつも通りのその人であることに、安心して、

日々の仕事に取り組める訳です。

これがもし、日ごとに違う振る舞いの人だったら、

周囲は困惑しますよね。

安心して一緒に仕事できません。

その人を信頼して、仕事を頼めませんしね。

だから私達は、決まった人格としての自分を作り上げて、

それを崩さないように、出来るだけ頑張っている訳です。

そこに素顔は必要ない訳で、

周囲も自分も、

<ソレは家で出せばいい>と思っている。

だからみんな、休日が楽しみなんですよね。

” 素の自分で居る ”

ということは、夜眠ったときに、

” 魂のふるさとに帰還する ”

のと同等の、エネルギー補給だと思うのです。

仮面をはずし、鎧(よろい)を脱ぎ捨て、

手足を思う存分伸ばして、凝ってた筋肉をもみほぐし、

( 体だけじゃなく、心の凝りもストレッチして、)

イロイロあった今日の出来事を自分なりに反芻し、

全身の細胞に 「自分だけの酸素と血液」 を送り込む。

外では、他人の価値観のソレだったけど、

家ではそんなことしなくていいから、

自分としては、こうなんだけどなぁ。

と苦笑いしながら、

思う存分自分に浸り、自分の思いを満喫する。

自分でいることを確認する。

家族や友達も含めての自分。

会社とは全く違う自分の本質。

ほかの誰に知られていなくてもいい。

大切な人にさえ、わかっていてもらえれば。

だから頑張って社会に一歩、踏み出せる。

大切な時の過ごし方。

 ★ ...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

携帯には、自分自身としての使い方が反映され、

家族といえども ”覗き見” は厳禁で、

煎じ詰めれば、それは <自分の分身> じゃないか?

と、思えたのです。

物言わぬ機械が、自分自身を投影して、

いつしか自分の中の大切な部分を映し出す、

鏡のような役割を持ちはじめる。

自分にとって、今何が、だれが必要で、

何に興味があって、何が、だれが大事か。

全部書き込まれる、自分の履歴書。

・・・ だから、携帯を買う、その日は、

緊張しましたよー!

先輩も同じだったらしく、二人でショップに入る時、

「 いよいよだねー。遅かりしデビューだね。」

と、顔を見合わせて嬉しさ満面、苦笑い。

ああだこうだと機種を見せられ、簡単なのをチョイス。

「 おーっ。ついに買ってしまった~!」

と、何か大変なことをしてしまった感覚で、

気持ちが落ちつかず。

で、先輩と別れて一人で駅のフォームに立っている時、

何故か突然、喜びが湧き上がって来たのです。

「 あー。そっかー! 

  これでみんなと、いつでもつながっていられるんだ!!

  今まで会社に来ないと人と話し出来なかったし、

   (一人暮らしなので・・)

  連休で人恋しいと思っても、

  せいぜい買い物に出かけるしかなかったけど、

  これからはいつもつながってるんだー!

  孤独じゃないよ~。 」

っと、本気でシミジミと感じて、心の底から嬉しくなったのです。

一人でニヤケましたよ。

我知らず顔がほころんで、どうしようもなかったのを、はっきりと覚えています。

あの感覚は、以外でした!

自分でもそんな気持ちになるなんて、想像もしていなかったからです。

でも現に私は、

<、まるで今から恋人に会いに行く女の子 >

のように、ウキウキして仕方なくなったのです。

そしてそれは、

< いつでも、その好きな人とつながっている >

というような、安心感、安堵感で、

決して束縛感ではありませんでした。

※ 当時、特に恋人がいる訳ではなく、あくまでも、

    自分の中でそんな例えを冷静にしていただけなんですが。

何にしろ、

これから私は一人じゃない!みんなとつながってる。

24時間、いつでも!!

ここ(アドレス帳)に登録しておくってことは、

この中の人と私はいつも一緒にいるってのと同じだよね?

お~っ!

なに?この一体感は?

と、まるでみーんなに取り囲まれているかのような、

心温まる、温泉気分のような感覚が押し寄せました。

想像と正反対の、その自分の気持ちに、

私は戸惑い、そして改めて自分を見つめてみました。

やはり人は孤独だけじゃ生きてけない。

「 一人で居たいのと、だれかとつながっているのと、

  どちらも必要なんだ。」

という感覚でした。

「 いつも誰かと一緒に居たい。 」

ではありません。

つながり。連帯感。一体感。目に見えないネットワーク。

それがあれば、どれだけ心強いのか。!

いざという時、自分を助けてくれる。

「 おーい! 」 と、いつでも声掛け合える。

そんな環境を、ついに自分は手に入れられたんだ!

・・・ という心境だったと、今では解釈できます。

つまり・・・

それまでは、分断されていた。訳でして、

家と会社。

という大きな壁で、きっぱりとくっきりと、

だれにでもそうと判るように、しっかりと分けていた。

家でくつろぐ自分と、

会社で人と交わる自分と、

いわば全くの別人に成りすます訳で、

一歩 「 行ってきます 」 と玄関を踏み出した瞬間から、

「 自分としての価値観 」を心の棚にしまいこんで、

会社としての価値観の中に、つまり、

「 会社の棚の中に自分の身を置く 」のです。

会社、というより、” 社会の中 ” と言った方が適切ですね。

どちらにせよ、

家 = 素の自分

外 = 鎧兜(よろいかぶと)で覆った(おおった)、

     常識という役者を演じる自分

と、必然的に演じ分けをしていた。

でも、携帯電話をいつもポケットに入れることによって、

自分にとって、「 くつろげる場 」 が、

いつも一緒にいてくれることになる。

そこはホッと出来る空間で、

そこにつながっている人は自分にとって大切で、

自分が選び取った自由がある。

・・・ たかだか携帯一つで、ここまで自分が変われるのか?

と、何度も何度も、自分に問いかけました。

そして判ったのは、

「 自由と束縛はワンセットだ 」

ということでした。

自分で選んだ、つながりたい人、もの、出来事 = 自由、

でも、鳴ったら出なきゃいけない束縛。

けれどよくよく考えてみると、

この束縛は、本当は相手を気遣うが故の行動で、

「 縛られてる 」 と感じる心そのものが、本当は病んでる。

もちろん縛りたい、という思いの人もいるかもしれないけど、

本当の目的は、大半の人は、

< つながり確認 >

なんじゃないか。ということです。

現実問題、私は携帯を手にしたその日、

束縛感なんて一切感じませんでした!

そんなことより、

【あー、私は一人じゃない。いつでもみんなと一緒だから~♪。

 みんなー、よろしくね~!】

と、叫び出したい思いでした。

  ◆ ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*○ ◆

なぜ今、この日のことを書きたくなったのか。

それは、 ” きずな ” って言葉を最近とても聞くからで、

何日か前のブログでも書きましたが、

私は拒否反応を抱いていた絆現象だったのですが、

ふと思い出したのです。

携帯買ったアノ日の思いは、まさにこの、

<絆確認、喜び現象だった> という事を。

だから、今更 きずな って、大騒ぎの必要がない。

と、改めて思う訳です。

(あくまでも自分としては、ということです。)

携帯持った時点で、十分判った ”つながり感”。

それによって得られた安堵・安心感。

この感覚が凄く大切で、

たったこれだけ(携帯を持つという現実だけ)のことなんだけど、

ここには体温がある。

憩いがある。

安らぎがある。

たまたま私は、携帯を通じて、

「 つながり感・絆 」 が、

自分にどれ程の安心感を与えてくれているのか学びました。

だから、何も過剰に

つながろう!和!助け合おう!

と叫びあげる必要を、感じないのです。

元々私達には、和心センサーがあって、

随分前から「みんなで助け合おう」心が発達していると確信できるからです。

だれもが、20110311 以降、

「 何かしたい! 自分も日本人の一員として、助けたい!」

と思ってきました。

そうして、各々の生活の中で出来ることを、

それこそ草の根のようにほんの一ミリずつ、

やってきています。

みんな、最初からつながっていたからこそ、わかるんです。

<今自分に大きなことはできないけど、ちゃんとつながってるからね。>

と、絶えず訴え続けているんです。

だから、もう本気でない、言葉だけの絆現象、いやだな。

と思ってしまうのです。

 ★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★

実は縁あって、東北の人々と話す機会を多々得ました。

現地の方々は、日本国中の過剰ポテンシャルには、

少しとまどっています。

ありがたいんだけど、何かちがう。

・・・ そうなのです。

「 方向性が少しズレてる 」 と感じていらっしゃる人、多いです。

あの大きな出来事が残したのは、一体何だ?

答えは一人一人違うと思います。

でも、何度でも立ち止まって考える必要があり、

自分なりの答えを持って、最善を尽くすことが大切だ、

と感じています。

答えは時間とともに、変化するはずです。

だから、いつまでも 「あの時のこたえ」 に安住せず、

<個々が今得た答え> を、しっかり自分のものとして向き合う姿勢が、

一番大事なんだと感じます。

だって、本当に好きな人に、

「 好きだ好きだ 」

って、しょっちゅう言えないでしょ?

好き。

って思いが強ければ強いほど、

口に出して言えないんです。日本人はとくに。。。

大切に思えば思うほど、言えない。

だから、

絆が大切。

って思う心が強い人ほど、言えてないんですよね、きっと。

で、静かに寄付したりして。

無言で現地に乗り込んだりして。

新聞読んで心痛めて、自分の事のように苦しんだりして。

大声で叫ぶ人ほど ・・・ かなーと思うのは、ヘソまがりのせい?

うーん。思いを実現しようとして出来る出来ないというのも、

個々の魂の熟成度で違うのでしょうが。。。

★。。。

今日は本当は、携帯について、

も一つ書きたいことがあったのですが・・。

でも、長くなるので次回にします。

で、今日の心の響きは、コレ。

< 携帯に寄せる思い、

     その初心を忘れないぞ~!bell >

2012年5月12日 (土)

アメイジンググレイスと銭形平次

昨年2011年11月のある夜、

「 アーメイ ジーーイン グレイース ♪ ・・・ 」

と、突然心に浮かんで、

しかも出だしの2小節だけ繰り返し、

何度も何度も心の中で歌い、

結局30分位それが続きました。

「 何で私、突然この歌リフレインしなきゃいけないの? 」

と思いつつも止まらずにchick

私にとって、

アメイジング・グレイス = 本田美奈子さんだったので、

この歌が浮かんだ瞬間、

「 ああ、彼女、若くして亡くなってしまったな。

  本当に歌が大好きで、すごく上手になってたなぁ。

  天国でも、ずっと歌ってるんだろうな。 」

と、彼女の歌声を思い出しながら、

私が唯一知っている、

その最初の2小節だけを繰り返し、心でくちずさんでいました。

まだ仕事中だった為、声に出すわけにいかなかったのです。

忘れもしません。

夜7時頃、突然その歌詞が降って来たかのように、

私の心に住み着いて、

なんだか知らないけど、

壊れたプレイヤーデッキのように、止まらなかったのです。

彼女のことは亡くなってスグ追悼番組で見て、

「 すごい人だったんだ! 」

と、その歌声とともに人柄に関して衝撃を受け、

その時から尊敬していました。

” 亡くなってから尊敬する ”

というのも失礼で、もったいない話ですが、、、

でも、壮絶としか言いようの無い闘病生活と、

止むことの無い歌への情熱を知った時、

そして何より、

一分一秒でも時間があれば、

「 もっと歌が上手になりたいと、

  家じゅうどこででも、いつもストレッチをしていた 」

という、努力の姿勢を妹さんから語られた時、

「 まるで神様のお使いのような人だな 」

と感じました。

デビュー当時から、歌の上手い少女でした。

ルックスも抜群で、

か細い手足と小さな顔に愛らしい笑顔がトレードマークで、

アイドルとして日本中の人に認識されていた、

数少ない一人だったと記憶しています。

そんな彼女が闘争心を持ち始めたきっかけが、

ミュージカルだったそうです。

オーディションに合格して掴んだ、初舞台の主役。

周囲は百戦錬磨の強者(つわもの)揃いで、

練習中も、

「 ふん。どこまでやれるか、お手並み拝見よね。」

「 アイドルごときに、この舞台が務まるはずないわよ! 」

といった雰囲気だったそうです。

陰口、嘲笑の渦の中、彼女は歯を食いしばったことでしょう。

「 負けてたまるか!やってみせる!

  泣いてる暇があったら練習するんだ! 」

と、何度も自分に言い聞かせ、

限界を超える努力を積み重ねた。

その一歩が、彼女にあの歌声を与えるきっかけとなった。

そうした努力の中で、彼女はきっと、

自分がどれほど歌を愛しているのか、自覚したのでしょう。

単に好き。

というだけでは済まされないほどの、強い思い。

執念。

と言っても過言ではない程の、思いの深さ。

それは時として、

「 どうしてこんなに歌が好きなのか、自分でも判らない! 」

と思う程の惹きつけられ方で、

まるで憑き物でもついたかのようにのめりこむ。

・・・ きっと、いえ、おそらくそうだったのでしょう。

でないと、短期間の内に、

あそこまで急激に上手くなれる筈がないんです。

上手さ、というより、上達の度合いが、ハンパじゃない。

歌謡曲の時の発声と、全く違うクラッシックの発声。

ゴスペルも入り混じった発声方法は、

一朝一夕では、到底たどり着けません。

私が今でも覚えているのは、

その追悼番組の中での彼女の歌声と比較して、

彼女と仲良くしていたという先輩歌手の方の歌声が、

あまりにデビュー当時そのままだった為で、

< 美奈子さんは血反吐(ちへど)を吐く程、

   訓練に明け暮れていたんだ。>

と、推察できたからです。

その先輩歌手も、元々上手な方で、

もちろん今でも美声で通っている方で、

日本国中、だれでも知っている有名な歌い手さんですが、

美奈子さんのあまりの上達の前に、

霞んでしまっていました。

( 少なくとも、私の目にはそう見えました。 )

彼女がデビュー当時は、その先輩とは格も違い、

もちろん経験値も違っていたのですから当然ですが、

単純に、歌の上手い先輩後輩関係、というのが、

世間的な見方だったでしょう。

でも、その日聞いた彼女の歌声は、

その先輩をはるかに超えて、

” 一気に大気圏突破して、

  一人だけ別世界に飛翔してしまった!! ”


そんな感じだったのです。

はっきり言って、ぶっちぎりで彼女の方が上手かった!

その美奈子さんの努力の凄まじさ、、、

それこそ、

” 命をかけた ”

という言葉でしか表現できない、その努力の痕跡に、

改めて私はぶちのめされた思いだったのです。

だって、その先輩歌手は、しつこいようですが、

「本当に上手い!美声だ!」 と昔から評判で、

だれもが納得するほどの実力の持ち主なんです。

でも、

「 その人ですら霞んで見えるほどの実力 」
 

を蓄えてしまった人なんだ! 

その事実を知った時、

私の衝撃は、ホームラン級でした!

「 ああ、生前もっと聞いておけば良かった。

  美奈子さん、あなたのこと誤解していた。ごめんね。」

と、心の中で謝りましたよ~。

何せアイドルとして見ていたので、あまり興味なかったんです。

「 上手だけど、何か無理して大人ぶろうとして、
 
  違和感あるなぁ。」

という程度にしか、思えなかったのです。

そんな少女がわずかな内に、
サナギから蝶へと見事に脱皮して、
美しく、そして大きく大きく羽ばたいていた!

あの大先輩を凌ぐ歌声を持つ歌手として。

その先輩もおっしゃっていました。

「 美奈子にはかなわない。 」 と。

「 そうだそうだ! 」 と、私も内心思いました。

のびやかな歌声と音域の広さ、

音に乗せる歌詞の丁寧さ、

いちおんいちおんに、彼女の愛がこもっていました。

「 音に(歌詞に) 思いを込める 」

ということは、よく演歌歌手の方もおっしゃいますが、

それは、思いだけでは駄目で、

その熱い思いを伝えられるだけの実力がないと、

それは聞く人に届かないのです。

届かないということは、
プロとして甘いということなのです。

私はそう思います。

だからこそ訓練するのです。

届けたくて。

「 自分のこの思いを、理想通りの歌声で届けたい!」
そして練習。

「 よしっ!いいぞ。 」

っと少し満足して、イザ自分の歌声を聞いてみると、

「 なんだ。。。まだまだ自分の目標とする域じゃない!

  こんなんじゃダメだ!! 」

とガッカリして、上手くなる為に、
更にまた厳しい練習を自分に課す。

その繰り返しなんだと思います。

訓練 → 聞いて判断 → 理想との乖離(かいり)に発奮

→ また訓練

どの道の一流と言われる人も、同じなんだと思います。

少しばかり周囲に褒められても、馬耳東風。

自分をしっかり持ち、自分の目標を立てて突き進む。

自分の性格を知り、努力の仕方を工夫する。

私には、この練習が合ってるんじゃないか?

ここが弱点だから、この分野の先生に就こう!

目標に対して、いえ、人生に対してまっすぐで冷徹で、

でも、大好きなことをするから、疲れ知らず。

他人と比較するのではなく、自分のあり方を、

自分の生かし方を知っている。

いつどこにいて、何をしている時でも、

絶えず上達のヒントを求めて止まない。

どんな些細なことからでも、ヒントを得る。

得たヒントは実行に移して、また上達への足がかりにする。

それが、人生をかける、命をかける。

そんな人に共通している時間の使い方だと思います。

時間の使い方、というより、むしろ、

それをすることによって、命を削っている。

「 ラクな方法を取れば、もっと長生きできるだろうに。」

と思われても、真逆の生き方を選択している。

例え寿命が縮まってでも、

そうせざるを得ない方向に自分を追い込んでいる。


そう思えてなりません。

どんな理屈であれ、

私にとって、それ程の大変身を目の当たりに出来たのは、

奇跡に思えました。

「 一人の人間に、こんなことができるんだ!

  人は努力次第で、短期間でこうも変われるんだ! 」

と、人間の可能性を、どこまでも無限大に可能だということを、

身をもって示してくれた。


だから彼女は私にとって、

単に歌の上手い人・努力家。

ということでなく、

<サムシンググレート が、奇跡を現す為に遣わされた人 >

として、深く刻み込まれた存在だったのです。

    ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*。+..:*○o。+..:*○

そんな彼女の代名詞となった歌。

それが突然心に響いた理由。

その日の深夜、わかりました。

判って仰天したのです。

< 彼女の7回忌のイベントが行われた日 >

だったのです。

きっと大勢のファンによって、

その歌が歌われたのか、

それとも彼女の歌声が流されたのか、したのでしょう。

集合意識のなせるわざ、だったのですね。

今も尚、多くの人々を魅了してやまない。
その歌声に愛を感じて、
私たちの心にずっと生き続けます。
改めて、
美奈子さん、ありがとう! あなたの存在に感謝します。
神の存在の確信と感謝を歌ったこの賛美歌を、
あなたは導管に徹して私達に届けて下さいました。
エゴのない、純粋な心での歌声だからこそ、
今も尚、沢山の人があなたに救われています!
あなたは使命を生き抜いた。
私達が愛の道を選択できるよう、
どうか、見守り導いてくださいね。
☆ chick chick
そして、なぜか今日のタイトル、
も一つが 「 銭形平次 」 の理由は。。。
今朝目覚めてスグ、
「 おーとこだったーらー ひとつにかーけーるー♪ 」
と、銭形平次の主題歌が心に突然響いてきたからです!
なんでー?
と思ったのですが、、、
謎は未だに解けず。。。
ということで、いつかわかるのでしょう。うん。
で、今日の心のひびきは。
< 今はサナギでも、
    頭と心の全部が求めれば、
     蝶になれないはずがない! >

2012年5月11日 (金)

レモン色の記憶

中学1年の頃、東京から女の子が転校して来た。

色白で垢抜けていて、頭のいい子だった。

私たちの地域は、比較的方言はなかったけれど、

語尾に少し 「田舎くささ」 があって、

「 ○○になるの 」

という言葉の場合、

「 ○○になるだ 」

という、ちょっとしたクセがあった。

でも、そのSさん

(私たちはついに彼女をちゃん付けで呼べなかった)は、

いつも、「 ~ なの? 」 とか 「 ~ になっちゃう 」

と、実に洗練された言葉を使っていた。

だからと言って、” 田舎もの ” と軽蔑する部分は一切なく、

ただ、慣れている言葉を使う。

という、自然体で自分を持った子だった。

今思うと、転校慣れしていたため、周囲に同調しながらも、

自分を崩さないコツのようなものを、

自然と身に着けていたような気がする。

「 転校生は頭がいい 」

と当時言われていたのも、

「 どうしたら今までと違う教科書を使う授業

  について行けるのか?」

という難題に対して、

最速で授業の歩調に合わせ、

自分の持っている知識をフル活用して勉強するコツを、

自分なりに努力して、必死に身に着けた結果の、

< いわば頭脳プレー集団 >

というカテゴリーに属する子達だったから、

と、今なら理解できる。

頭がよくて色白で、

ハキハキしていて、気取らない。

そんな子供は、当時の中学生にしてはかなり大人で、

同性の目から見ると、

「 Sさんは、やっぱりちがうねぇ 」

と、少し近寄りがたい存在だった。

そして、色白。

これは、当時の田舎の子にしてみると、かなり・・・

< ポイントの高い都会人(とかいじん) >

の象徴だった。

その頃、なぜか生徒は色黒で、

まれに見る、その肌の白さに、私たちは ホエッ~!

と驚嘆したのだった。

今思うと、外での体育の授業が、相当長かったようで、

また、学校の方針が「文武両道」でもあり、

黒いことは健康的、

健康的なら勉学にも勤しめる(いそしめる)。

というイメージが、教師・生徒・親と三つ巴の解釈だった気もする。

だから、色白の子がたまに居たりすると、

「 オイ。元気か?大丈夫か?」

なんて会話が、

教師から生徒に向けてなされるのが日常だった。

そんな異空間に飛び込んできた、

< 東京というまばゆい大都会の女の子 >

は、クラスみんなに珍重された。

確か、学級委員にも推薦されて、

堂々とこなしていたような記憶もある。

やせていて、しかし一つ難を言えば、ちょっとガニ股だった。

でも、そんなガニ股を覆って余りあるほどに、

彼女の美点は私たちの目に、眩しく輝いていた!

・・・ そんな彼女が、また転校することになった。

今度は東京に ” 戻る ” という。

短い間だったけど、私たちクラスにしっかり溶け込んで、

笑顔いっぱいふりまいて、違和感なく何でもこなし、

ついには学業成績までトップクラスに立って。。。

そうして有終の美を飾り、彼女は去った。

★★

「 クラスへのお礼 」

と称し、彼女は大きな花瓶を置いていった。

ホントに大きくて、一人で抱えるのは危ないほどで、

でもとても綺麗な色彩で、

スベスベな陶器で、

壺型の口の部分を、その感触が好きで、

私たち女生徒は、よくなでていた。

~~

そんなある日。

「 ねえ、知ってる?

  K君がさあ、花瓶抱いて、泣いてたんだって!

  Sさんのこと、好きだったんだよ。 」

という噂が広まった。

私は初耳だったから仰天した。

あのK君が・・・ !?

K君は、

勉強はあまり好きではなかったけれど、

大きな瞳がキラキラ輝く男の子だった。

痩せ型で、身長の割りに脚が長く、

詰襟ズボンという、超オーソドックスな学生服を、

見事に着こなす、オシャレな子だった。

ズボンのラインは、いつもビシッとしていた。

当時の男の子としては異例で、

彼以外そんなスマートなズボンの着こなし方をしている子は、

一人もいなかった。

おとなしい性格で、優しい挙措動作で、

言葉使いは、女性より丁寧だった。

彼が声を荒げたところを、見たことがなかった。

オシャレで優しい女性的な男の子が、

都会的でおてんばな、男性的な女の子に恋をした。

その恋を打ち明けることもなく、

彼は、彼女の残した、その壺を、

おそらく 「彼女自身」 と感じて恋しがり、

ただ抱きしめる。

体温のないその壺は、

最初はヒンヤリ冷たくて、

スベスベの感触が、やたら心に悲しくて、

涙があとからあとから溢れ出す。

彼女を思う彼の胸に、

彼女の笑顔と言葉と、

存在すべてを思い起こさせる時間がとどまって、

さらに強く、その壺を抱きしめる。

気付くとと壺は、彼の体温で温まり、

その温もりが彼女の存在感を、尚一層引き立てる。

どんなに会いたくても、もう彼女は居ない。

寂しいさびしい!

こんなに辛い思いをするなんて・・・。

物言わぬ壺を抱きしめて涙する、

K君の姿を想像した時、

私は胸が締め付けられそうになった。



彼女が去って2週間ほどして、手紙が届いた。

彼女らしい、明るい文面。

先生が読み上げた。

「 ・・・ でも、この勇気とファイトで、がんばっちゃうからね!」

と、締めくくられていた。

みんなドッと笑った。

でも私は、K君の顔を見ることができなかった。

「 泣いてるんじゃないか? 」

と、そんな気がして。

☆☆

あの、優しくオシャレな彼の存在感と、

あまりにも切なくて、苦しい恋する心と、

ひんやり冷たい、スベスベの花瓶の感触と、

緑と黄色と赤色といろんな色が混じりあった美しい色彩とが、

見事に調和して、

何一つ欠けても成立し得なかった遠いあの日を思うと、

それは私の中で、

” レモン色の記憶 ” 

としか表現のしようのない懐かしさで、一杯になる。

レモンの味のように酸っぱいという意味ではなく、

清潔感にあふれていて、

いつでも誰にとっても身近にあって、

掌にのせられるほどに小さいけれど、

簡単にかじることは許されない。

ただ遠くから眺めることだけを許された、

そこはレモン色の記憶。

もう戻れない。。。

少しセンチメンタルな追憶でした。

切なさ懐かしさで、胸が締め付けられる。

人はこうやって年を重ね、

やがてすべてを、笑い飛ばせる日が来るのかな?

未来の自分に尋ねたい!。。。でも、いいか。

☆☆

追記

大学2年の時、

私の父が、「癌で余命半年」 との宣告を受け、

何日か、来る日も来る日も、

私は一人で泣き暮らした。

そんなある日、

高校の同級生から

「 お誕生日おめでとう! 」

と、手作りの小物袋が届いた。

彼女は当時、私の苦しみを知っていた。

封を開けた瞬間、私は泣き崩れた。

それを胸に抱きしめたまま、

「 ありがとう、ありがとう 」

と、涙が止まらなかった。

「 こんな泣いてばっかりの私に、

  ” 大丈夫? 私、ちゃんとここにいるから!

    元気だしてね。

    泣きたい時は思い切り泣いていいんだよ。

    いつでも声かけてね。 ”

   って、語りかけてくれてる! 」

そう感じて、嬉しくてありがたくて。

いつまでもメソメソしてる自分に対して、

そんな包み込むような優しさを表現してくれた、

その彼女の愛を、

私はしっかりと感じることができました。

祈るような思いで、ひと針ひと針手縫いしてくれた、

そんな彼女の姿を思い浮かべ、

自分の持てる時間を私の為に費やしてくれた、

その気持ちの込め方が、

まっすぐに私に届いたのです。

そして、この胸にしっかりと抱きしめたプレゼントを見ながら、

私は、K君のことを思い出したのです。

「 ああ、K君が抱きしめたあの花瓶の切なさを、

  私は少し状況は違うけど、

  今、感じることができたよ。 」

K君は、会えない苦しさで ・・・

私は嬉しさで ・・・

一杯になって、

表現のしようが無いほどの思いにどうしようもなくて、

切なくて、ただ泣けて、一人で抱きすくめた。

モノへの思いって、こんなに深いものあったんだ!

初めて実感した瞬間だった。

「 だから、どんなモノにも魂が宿るんだ!

  そんな切なさで抱きしめられた心を、

  モノは決して裏切らない、無視できないだろう。」

と、確信めいた思いが、私にはあります。

だから今日の心のひびき。



< モノの思いが伝わる、

    そんな自分でいたい! >

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