携帯つながりで、
今日は以前のビックリ・シーンのお話から、まず始めます。
昼間の山手線車内での出来事です。
平日の午後、( 当時は休日が平日だった為、)
出かけた時の事だったと思います。
車内は比較的すいていて、多少立っている人が居る程度。
会話をする人もほとんどいなくて、かなり静か。
周囲はと見渡すと、大学生位の若者が着席して、携帯開いて、
メール?に没頭中の人が、数人。
あとは、覚えていない程度の、ごくごくありふれた日常のひとこま。
・・・ の筈だったんですが、、、
突然、バシッ! という、何かを叩くような音がして、同時に、
「 何してんだ! こんなもの車内でするんじゃない! 」
と、いう怒鳴り声が響きました。
驚いてそちらを見ると、
一人の男性が、いきなり若者の携帯を払いのけていたのです。
その男性、60代?白髪まじりの短髪で、中肉中背な感じ。
つり革につかまっている方でした。
で、つかまっている手はそのままに、
もう片方の手でバシン!とやった訳で。。。
その顔は、憤怒で燃え上がり、若者を睨みつけていました。
もうこれ以上は憎めない!
という程の憎しみをこめた表情でした。
仁王立ち。
その言葉がピタリとあてはまる、そんな顔、体の筋肉の表情でした。
一方若者は、は・と・ま・め (鳩が豆鉄砲食らった) 表情で。
一瞬ポカンとしてました。
「 一体いま、何が起こったんだ? 」
と、目をパチクリ。
そりゃそうでしょう。
目の前には、恐ろしい形相(ぎょうそう) のおっさんがいて、
自分を睨みつけてる。
まるで、正義の番犬みたいに。
持ってた筈の携帯は、自分の膝の上に転がってる。
「 はぁ? 」
でしょうね、当然。
で、瞬時に、自分の大事な携帯を、見ず知らずの人に叩き落とされた!
と判り、
「 なんだー? 何すんだよ? 」
と思うのは、自然の成り行きです。
もちろんその若者も、そう言いかけてました。
口パクだけでしたが。
驚きすぎて、声がでない!
。。。 そんな感じでした。
実際の言葉は、
「 な、なに・・・ !そんな・・・ !」
という音が、かろうじて私には聞き取れました。
その間、ずっとパクパクは続いていましたが。
よく子供が母親に注意されて、やる、アレです。
「 早く宿題しちゃいなさい! いつまでテレビ見てんの! 」
に対しての態度です。
本当はちゃんと言いたい!
「 やるよ! 言われなくたってちゃんとやるさ!
何で子供を信じられないかな? お母さんはいつだってそうなんだ。
もっと僕を信じてよ! 頭から決め付けんなよ! 」 と。
でも、母親のあまりの強さに言い返せない。
だって、言ったら、また、数十倍の弾丸となって返ってくる!
と、判っているから ・・・ とてもじゃないけど言えっこない。
ホントは心のどこかに、少しの後ろめたさがあって、
「 ソロソロ勉強しなきゃな。 」
とも思ってたから。
そこにもってきて、母親の正論。
「 判ってるさ。お母さんは正しいんだ。
僕はいつも、もう少し早く机に向かおうと思ってるくせに、
意思が弱いから、ついついダラダラしちゃうんだ。
で、テレビ見ながら内心オドオドして、
そろそろ勉強始めなきゃな。
って思ってるくせに、心のどっかで、
” まだいいじゃん。も少し大丈夫だよ。あと○分。
これが終わったら行けばいいよ。もう少しだからさ。”
ってウダウダして、結局いつも流されちゃうんだ。
僕だって、勉強は嫌いじゃないよ。
始めれば結構ガンガンやるしさー。
ただ、とっかかりが遅いんだ。
テレビから勉強に切り替える、そのタイミングが遅いだけなんだよなぁ。
だからお母さんはイライラしちゃうんだ。
わかってる、わかってるさ!
ホントは、僕が悪いんだ。ってね。
だけど、ああも頭ごなしに言う必要ないだろ?
もっと言い方ってもんがあるじゃないか!
僕だってバカじゃないんだ。ちゃんと言われれば判るのにさ。
だから素直になれないんだ。
お母さんだって、悪いんだからね。!」
と、内心は言いたい!
しかし、母親の意見は完璧に正しいことを知っているだけに、
その理論の正当性は、疑いようもないことを知っているだけに、
・・・ い・え・な・い !!
母親 = 正しい = 正論 → 強い!
自分 = 行為として正しくないと判ってる → 言い訳 = 情けない
だから、 → 弱い
と、その力関係を、十分過ぎるほどに理解している。
訳です。はい。
だから、結果として、母親に対して自分の心の声を言い切れない。
バシッと最後まで言えないのです。
で、ついには口だけ金魚状態のパクパクで、
心の声を、音に出さずに伝えて、
もし伝わっちゃって、母親に、
「 は?あんた、なーに言ってんの?
いつだってやるやる言ってて、やった試しないじゃない!
一度だって自分から率先してやったことあんの?」
とでも言われようものなら、
「 別に僕、何にも言ってないじゃん。お母さんこそ何言ってんだよ!」
と弁解する。
そうです。
弁解の余地をもたせるために、音に出して言わないのです。
声に出す、相手に聴こえるように伝える。
ということは、本当は勇気のいることなんですね。
だから、その勇気がない為の所作動作として、
口パク状態。
★...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。★
話を戻します。
その若者の、顔面蒼白、口パクは、そんな心の現われだったと思います。
内心は判っていた。
” ホントはここで携帯開くのは、あまり良くないんだよね。
ペースメーカー入れてる人とかそばにいたら、ヤバイよね。
悪いよな、そういう人に対して。”
と思ってた。
でも、「 ま、会話してる訳じゃないから、いいよね。ちょっとの間だし。」
と軽い気持ちで、いつものごとく時間を費やしていた。
ところが・・・
いきなり、正義の使者
の、鬼の形相のおっさんが、自分の前に立ちはだかって、
親にすら叩かれたことのない?、この手を、
何の前触れもなく、いきなり叩かれた!
有無を言わさず。
「 弁解なんて、聞く余地もない!」
とばかりに。。。
< 100%、オレが正しいんだ!
お前のしてることは、間違ってる。
さっさと言うとおりにしろ!
この馬鹿者め! >
” 仁王様もどき ” のその男性の心の声が、全身から漂っていました。
車内は、シーーーン。
と静まり返り、緊張が襲いました。
” もしや乱闘さわぎに発展? ”
と、私も一瞬思いました。
その若者がもし反撃に出て、相手の胸倉を掴み、
「 ふざけんな! 」
と殴りつけでもしたら ・・・ ど・どうしよう! ・・ と。
しかし、若者は静かに座ったままで、
反撃どころか、全身硬直で頬はピクピク。
泣き出しそうな目でしたし。。。
きっと、親に叩かれたことなど、なかったのでしょう。
だから人に叩かれた衝撃に、心が付いていけてない。
そんな感じでした。
もし、叩かれ慣れてたら ・・・ おとなしくしていなかった?
と、そんなことも、後々感じたのですが。
とにもかくにも、その青年はおとなしかったです。
気の毒なほど。
やがて駅に到着して、彼は降りて行きました。
でも ・・・ 到着する駅までの間が、やけに長く感じましたよー!
時間にすれば、ほんのわずか。
1,2分位だったのですが。
硬直した時間って、止まっちゃんですね。
その動作と表情だけが、やけに印象に残って、
まるでスローモーションのように、何度も自分の中で繰り返される。
その繰り返しの回数ぶん、時間は自分の中で経過している訳で、
だから長く感じてしまったのですね、きっと。
だって、ホントに 「何が起こったの?」状態から、
はっきりと今、目の前で行われていることを認識できるまで、
何度も何度も、頭で繰り返しましたからね。
1分 × 3回、 いやいや、 5回位 はリフレインしてたような ・・・
とすると、ゆうに5分は経過した感覚だったんですよね。
自分の中の ”感覚時計 ” は。
そりゃ、長いです。いえ、長く感じる訳です。はい。
◆ ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:* ◆
で、実は驚くべきことに、これには続きがありまして。。。
このおじ様、
次に乗ってきた青年にも、やったんですよ、同じこと。
「 ありゃ~。まぁー。やってしまった!」
と、私は、今度は覚悟して見てたので、そんな感じでした。
そしてそして、2人目の被害者、じゃない、
2人目の、
閻魔様にとって、「けしからん」青年は、
やはり同じようにビックリ、お目目パチパチ、
わなわな、口パク・・・で、固まってました。
一人目の時からの一部始終を見ていた車内の人々は、
一様に目をそらし、だれかと合ったその目を今度は泳がせ、
でも耳ダンボ。
「 最初はおとなしい青年だったけど、今度はわからないぞ。
大丈夫か? 」
的な不安で。
でも、2人目もおとなしくて、みんな ホッ! でした。
★★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜ ★★
私には、その時の光景がどうしても忘れられず、
そのおじ様の怒り方が不思議でならず、長い間ずっと謎でした。
「 なんであんな怒り方したんだろ? 」 と。
・・・ だって、普通じゃないですよね?
少なくとも、
社会的な生活を営む、大人としての振る舞いとはかけ離れている。
いくらご自分が年長者で、すでに第一線から離れているとしても、
普通に暮らしているだけでも、人と交わって生きてきたでしょうから。
いろんな人とお付き合いする中で、
どんな理不尽があったとしても、
例え正義が行われない現場に居合わせたとしても、
自分にとって、それらが納得できない事柄だったとしても、
いきなり相手を殴りつけたりしないでしょうに。
怒鳴りつけたりしないでしょうに。
我慢に我慢をかさねて、何とか収めるでしょうに。
それが良い悪いではなく、集団生活の中ではそうせざるを得ない。
・・・ それが社会人ってもんじゃないの?
と思うと、どーしてもその男性のとった行動が、
不可解で、謎で、仕方なかったのです。
身なりも普通で、ちゃんとしてたし。
で、謎は謎のままに。
でも良かったのですが、
「 何とかあの謎を解きたい! 」 という思いが結構強かったらしく、
< 怒り > というテーマを考えると、
常にそのおじ様が デン と居座っていたのです。
★
ところが、つい最近、その怒りの理由が解けた気がして、
ようやくその記憶を、
「 嫌なビックリ記憶 」 ではなく、
別のモノとして捉えることができるようになりました。
まず思ったのは、
「 あのおじ様の怒りは、
本当に、あの青年に向けてのものだったのか? 」
ってことだったのです。
どういうことかといいますと。
感情的な分析をしたときに、
怒り は、 悲しみが原因として起こる
場合が大半でして、
たとえば、私がなにかで悲しんだ時、
悲しむだけでは自分が沈んでしまい、やりきれない。
じゃ、どうしたらラクになるか?
というと、どこかに怒りを向けること。
が、その方法になるのです。
具体的に言いますと、
恋人Aさんの誕生日に、私は手編みのマフラーをプレゼントした。
Aさんはとても喜んで受け取った。
しかし、後でゴミ箱にそれが捨てられてあった。
知った私はショックで落ち込み、失意のどん底にあえいだ。
悲しい。涙が止まらない。
どうやらAさんには、ほかに好きな人がいたらしい。
自分だけが一人芝居して、思い込んでいた。
悔しい。こんな思いをさせたAさんが憎い。
Aさんが悪いんだ。
Aさんを懲らしめたい。
今度会ったら、ぶん殴ってやるんだから!
★ ★ ●
と、まー、かなり大げさな設定をしてみました。
すべて創作ですので、あしからず。
あまりに三文小説すぎますが、
この位現実離れしてると、ユルユルな気持ちで・・・。
で、話を戻して、、、
この時の私の心情ですが。
悲しみの大きさはハンパじゃない訳です。
その深さたるや、1日2日じゃ癒されないほど。
大好きだった、いえ、今でも好きな男性に裏切られた訳ですから。
ただただ嘆き悲しみ、自分の殻にこもり始めます。
で、ふと思う訳です。
「 どうして私ばっかりが、こんな辛い思いしなきゃいけないの?」
「 Aさんだって悪いじゃない?
私にこんな気を持たせるそぶりして、ひどいじゃない!」
って。
そして、
「 Aさんも私同様に苦しまないと、私が可愛そうすぎる!」
という心理に発展するのです。
※ 大切なのは、ここで自分を責め暮らしてはいけない、という事です。
病気になったり死にたくなったりします。
正当な怒りは持つ。そうしたら、鎮める。それが健康の秘訣です!
あしからず。。。
..。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。
さて、Aさんを苦しめる、つまり、自分と同じ痛みを味わってもらうには。。。
具体的には、
① 身体的・言葉としての直接ダメージを与える。
② 精神的にジワジワ痛めつける。
などなど。(サスペンスドラマではないので、この辺でストップ。 )
・・・ で、①を取った場合、
Aさんにとっては、私に怒られる。
という状況に追い込まれる訳です。
ようやく出ました。 ”怒りの発露” です。
私は ”怒る” のです。
方法は言葉で、場合によっては平手打ちで。
で、私の気持ちは、と言いますと、
「 あー、すっきりしたー 。」
と、なるのでしょうか?
残念ながら、何かまだ、すっきりしないのです。
自分の気持ちをAさんにぶつけ、思いのタケをぶちまけたのに、
「 変だなぁ。何か、モヤモヤしてるな。」
なんだかしらん?
頭の周りを、
クエスチョンマークがい~っぱい飛びかってるんです!
私は考えます。
↓ そして、気づきます。
まっ、私も悪かったのよね。
勝手に思い込んで、舞い上がって、
Aさんの本当の気持ち、確かめたことなかった気もする。
Aさんの態度だけで、「私のこと好きでいてくれてる」って、
都合よく思い込んでたのよね。
怖くて確認できなかったのかも ・・・ ホントは。
だから一気にプレゼント攻撃!なんて、暴挙にでたんだよね。
よく考えて見たら。
アーッ。そうかー。
自分も悪かったんだ!しまったなぁ、って感じだな。
でも。。。よーし!これで一つ学んだぞ。
次に素敵な男性に出会ったら、今度は一人芝居はしない!
ちゃんと思いを伝えて、相手の気持ちも確認して、
お互いに理解しあって、素敵な関係を築くんだ!
判った。頑張るわよ~!
・・・・・
そして後日、私は素敵な男性と出会い、
前回の教訓をバネに、幸せな日々を過ごしたとさ。
<おしまい>
◆
って、<長生き思考が服着て歩いてる>私の、
つたない演技力でしたが・・・ 。
でも、お伝えしたいことは、判っていただけたのでは?
と勝手に感じてます。
そうなんです。
つまり、
悲しみ → 怒り → ぶつけた → 虚しい・晴れない ⇒ なぜ?
それは、
< 怒り > は、本当は、八つ当たりにすぎなかったから。
つまり、
〔 本当は自分の冷静な判断ミスが引き起こした結果だったのに、
自分の非を認めるのが怖くて悔しくて、
自分自身の内面を見つめることから逃げていた、 〕
というのが本当の答えだったから。
← Aさんへの怒りは八つ当たりだった!
Aさんは、私の怒りの本当の対象ではなかった。
本当の対象は、自分自身だった!
・・・ ということなのです。
だから、もし正しく?怒るとしたら、こうだったんです。
「 あー、もう! 私のバカ!
どうしてAさんともっと正面から向き合わなかったの?
たとえフラれるのが怖かったとしても、勇気を出して、
もっと早く確かめるべきだったな。
もしフラれたら、そん時はそん時よ。
おとこなんて星の数ほどいるんだから、
次の恋に向かえばいいだけの話じゃない!
臆病なんだから~。メッ!私の欠点だったんだ。
まっ、いいさ。ここまで判ったら、すっきりした!
反省したから、あとはもう、自分を責めるのはよしましょ。
私も一生懸命やってるもんねー。
わかってるよ。いつもありがとね。
でも、バカやったら、また自分のこと怒っちゃうかもしれないけど、
その時はゆるしてね。よろしく!!」
・・・ と、こんな感じだと思います。(自分との対話です!)
事実は → 怒りの対象は自分。
勇気を持って内省すれば判ること、だったのです。
そう。
内省とは、すごく勇気のいることなんですね。
自分のイヤな面を見つける。見せ付けられる。
苦しいです。
だから、そんな苦しみから逃げるために、外に虚構の敵を創り出す。
自分以外を敵視したほうが、ラクなんです。
自分のこんな部分が弱い。
とか、
< その弱さの結果、自分の思い通りにならなかった。>
なんて、死んでも認めたくない。
自分のコノ部分が悪かったから、あの結論に至った。
と認めることは、人生を長く生きてきた人間にとっては、
一層至難の業なのですね。
特に、バカになりきれない生真面目な人にとっては。
失敗して、
「 あーあ、またやっちゃったよ。ったく、オレってバカだよね。」
と、笑い飛ばせる人は大丈夫なんです。
でも、失敗したら恥ずかしくて、ホントに自分を責めてしまい、
内心すごく動揺してても、体裁を保つ為に平静を装う人は、
要注意なんです。
要するに人目を普通以上に意識してしまうタイプの人ってことです。
意識過剰な人。
その人にとって、失敗を自分の短所が生み出したもの。
と自覚するのは、自己信頼をガラガラと崩されるような気がして、
自分自身が崩壊しそうで、怖いんですね。
自己信頼。
を、本当は自身の価値感でしていれば全く問題ないのですが、
他人の価値感で自己信頼している人 = 意識過剰な人
なので、
失敗 = 他人に軽蔑され、バカだと思われる = バカな自分
という虚構の方程式が、自然と成り立ってしまうのです。
たとえ一部分でも自分の性格を否定するような思考は、
( 本当はそうではなく、自分を見つめるだけなんですが )
とりもなおさず、
自分の歩んできた人生そのものへの否定のように感じ、
それは自分の存在そのものを、自分から否定するような苦しみを伴う。
存在の否定って、究極、人間やめます。
っていうのと同じなんですね。
存在を肯定 = 人間として生きる証 = 人間の証明
本当は内省っていうのは、
自分のいいところ・わるいところ、
イロイロあるけど、全部ひっくるめて静かに見つめる。
ってことで、
自分を否定したり責めたりする目的ではない。
あくまでもそれは、人生をよりよく生きるため、
もっと人生を楽しむため、
もっと自分を<思い込みという檻から自由にしてあげる>ため、
であって、てっとりばやく言うと
【 幸せになる為 】
に行うもの。
なのに、周囲にすべての責任をかぶせて、
自分は怒りまくる人が最近増えているように思えてなりません。
「 オレを怒らせてるのは、お前だ~! お前が悪いんだー!」
って。
書ききれませんので、またの機会に。
★
そんなこんな考た時、私はあのおじ様がなぜ怒ってたのか。
ようやく判った気がしたのです。
何か悲しい出来事があったのかな?
と。
で、その悲しみってどこから来たのか?
と、余計なお世話で想像してみたら、
ふっと、子供のケンカを思ったのです。
気の優しい、ちょっと恥ずかしがり屋の男の子が転校して来た(B君)。
早く友達がほしい。
何とか打ち解けよう、と思う。
「 まず最初に挨拶だ!」
と気付き、頑張る。
「 おはよう! 」 と、隣の席の子に声をかける。
でもB君の声は、あまりに小さくて聴こえない。
隣のC君は、わざと無視したんじゃなくて、
本当に聴こえなかったから、別の子とおしゃべりを続けた。
B君はショックを受ける。
C君はB君と違って、大声で話し、友達も多そうな人。
気を取り直して、翌日、B君は再び挨拶をした。
でも、本当にちっちゃな声だから、だれにも聞き取れない。
で、今度もC君は無視。
( 実はほかの子との話に夢中で、気付かないだけ。)
B君は内心、
「僕のこと、嫌いなの?」と勘違いして、ショックで泣きそう。
休み時間。
B君は、気を取り直してC君に声をかける。
やっとC君は、ふりむいて、笑顔を向けてくれた。
B君は嬉しくって、「友達になってね。」
と、勇気をふりしぼって言った。
でも、その声も、またまた小さいから、C君には届かない。
「 えっ?何? 聞こえないよ。 」
そこに別の子がやってきて、C君と楽しげに話し始める。
B君は、無視された。
( 本当は子供なので、気配りできなかっただけで。)
・・・
しばらくして、B君は突然C君の肩を思い切り ”ドシン” と叩き、
半分泣きながら、怒った顔をしてC君を睨みつける。
C君は突然のことに、何がなにやらわからない。
~~
こんな場面が思い浮かんでしまいました。
そうです。
そのおじ様がB君。
つまり、上手く会話できない腹いせ。
が、突然の暴力となって、むき出しの敵意とともに表出した。
もちろん、そのおじ様は子供ではありませんから、
状況は違っていたでしょう。
が、たとえば社内で、
自分としては一生懸命語りかけ、人間関係を良くしようと努力し、
様々なシーンで頑張ってきた。
けれど何度か誤解され、会話そのものが嫌になった。
「 どうせ通じないんだろ! 」
「 オレの言うことなんか、だれもまともに聞いちゃくれないんだろ!」
と、いつしか会話による意思疎通に不信感を持つようになった。
それは、
女性がいれてくれたお茶に、「ありがとう」とお礼を言ったのに、
無視された。
・・・ そんなささいなことがきっかけだったのかもしれない。
でも、そんな小さなできごとの、毎日の積み重ねが、
その男性の悲しみを募らせ、怒りに変換させたのかもしれない。
「 言葉で言ってもわかってもらえない!」
という思い。
小さな子供の暴力は、こんなことが原因だったりしますね。
まだ言葉を多く持っていない。
語彙力がないから、どう表現していいのかわからない。
その苦しさゆえに、暴力をふるい、相手にぶつけてしまう。
ぶつける行為は、会話の変形にすぎない。
そう。
体で会話してるんですね、当人は。
相手と接点を持ちたい。
そばにいて、自分の存在を知ってほしい。
でも、会話だと上手くいかない。
だから、手を出す。
相手に興味があって、そして、自分にも興味をしめしてほしい。
たとえ相手が怒ったとしても、
「 なにすんの?いきなり! 」
という会話からスタートしたとしても、
相手がびっくりして自分をマジマジと見て、
自分が今、ここに居ることを認めてもらえてる証拠だから、
とても嬉しい。
無視されるより、嬉しい訳なんですよね。
だから、それは、
<超ド級に不器用な人>
ってことになる訳です。
本当に相手を憎んで、また、興味もなかったら、
手なんて出すはずないんですから。
手を出すってことは、相手とつながりたいんです。
自分を知ってほしいんです。
でも上手く言えない。
なら、ケンカでもなんでもいいや!
ってことになってしまう。
つまり、ケンカによって、コミュニケーションをとってる。
のです、本人としては。
よくありますよね。
不器用な父と息子の関係にも。
『 美味しんぼ 』 という、超ベストセラー漫画も、
そんな親子関係でした。
父親は息子と口を聞きたいんだけど、
過去にイロイロしがらみがあって、普通に会話できない。
会うと憎しみ合う言葉しか、お互いに出てこない。
息子は父親の潜在意識を知らないから、本気で立ち向かう。
父は、事情がどうあれ、
息子と触れ合えるのが嬉しくてしかたない。
だから、いろんな場面で息子が怒るように仕向ける。
息子が自分と正面切ってケンカするのが、嬉しくて嬉しくて。
・・・ もちろん、そんなト書き、漫画には載ってませんでした。
あくまでも、私の勝手な解釈です。
でもね、そのおじ様の態度、
その父親とそっくりだったんです。
憎しみのこもった表情で、突然手を上げる。
でも、それは本当は愛情表現の裏返しだった。
本当は、穏やかに話したい。
微笑んで語りかけ、優しい笑顔で答えてもらいたい。
「 電車内で携帯開くのは、やめたほうがいいんじゃないのかな。」
とかなんとか。
で、「 あっ。ごめんなさい。少しだけと思って。気をつけます。」
なんて会話できたら、最高だよな。
と心の奥底で思ってる。
でも、
「 うっせー。くそじじい。」
とか言われたら、
せっかく相手を思って、愛情から言った言葉が通じなくて、
おじ様は数十倍、傷つく。
もしかしたら、そんなやり取りがあって、
” いきなり携帯叩きのおじさん ”
に変わっちゃったのかもしれない。
悲しい現実です。
繊細で傷つきやすい人なんでしょうね。
あくまでも想像です。
でも、人間の本質って、みんなそう変わりないと思うんです。
だから、生まれつきそんな偏屈な人って、いないでしょ?
赤ちゃん、天井見て、一人でキャッキャしてますから。
「 何がそんなに嬉しいんだい?」
と思わず、問いかけちゃいますよ。
あんな顔、見せられたら。。。
おじ様だってそんな頃があったのですから。
だから、人は、もって生まれた真っ白な部分っていうのは、
もともと同じだと思うのです。
それが、いろんな色づけされていく。
でも、そのもって生まれたものというのは、奥深い部分で、
みんな自分の中にあるものだから、
わ・か・る のではないか? と思います。
ただ、忘れているだけで。
~~
しかし、、、そんなおじ様のような人、
周囲にとってはいい迷惑です。
もう、いい大人なんだし。
って、感じですよね。
でも、そこに行き着いた時、私の積年の謎が解けまして、
ああ、さびしかったんだな、あのおじ様。
と思ったら、記憶の塗り替えが行えたのです。
でも、そのおじ様のような人も、
それはそれで、その人だけの人生テーマでしょうし。
他人がどうこうできないですしね。
やはり、それもこれも学びということで。
★
さて、本当はもう一つお話があったのですが、
次回にします。
これもビックリシーン!だったので、ずっと心に居続けてます。
では今日の心の響きです。
< その怒り、誰へどこへと向かうもの? >
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